東京銀座には、“おばちゃん”と呼ばれて親しまれている有名人がいる。61年にもわたって行商を続けている石山文子さん(84才)だ。石山さんは毎日、茨城県から1時間半、電車を乗り継ぎ、銀座の街へとやってきては、地元農家でとれた野菜や地元鮮魚店の鮮魚を売っている。
地下鉄は、朝の7時4分に東銀座駅着。取材した7月2日は快晴で、気温が朝から20℃を超えていた。石山さんは、首にかけた手ぬぐいで汗をぬぐいながら、シートに野菜の陳列を始めた。ここでもなじみの女性が手伝ってくれていた。
この日の商品は、採れたて野菜の他に、アジ(3尾600円)、まんじゅう(6個500円)、嫁が漬けたきゅうり(250円)が並んだ。7時10分に営業開始。石山さんはパイプ椅子に座って接客をする。
「工事現場の人が用意してくれてるんだ。おれ、足がいてえから、心配してくれて」(石山さん)
開店を待っていたかのように、レストラン経営の男性が自転車でやって来た。10年来の常連客で自宅用の食材を購入している。石山さんが笑顔で迎える。
「おはよう。今日はね、トマトがおいしいよ」
「じゃー、それちょうだい。おばちゃん、おいしそうなの選んでよ」
「ハハハ、どっこいしょ」
椅子から立ち上がり、少し大きめのトマトを袋に入れていく。
「あと、アジもおいしいから買っていってよ」
「(笑い)わかった」
会計は1200円。男性は「ちょっと細かいけど」と言って、千円札と五十円玉4枚を渡す。
「あー、ちょうど五十円玉欲しかったの。いつもありがとね」
ばあちゃんの元には、いろいろな客が訪れる。サラリーマンやOL、銀座に住む主婦、時には外国人観光客も。とび職風の大柄な若者は、黙って600円を置いて、トマトを掴んでいった。
「一度もしゃべったことないけど、毎日来てくれるんだよ」(石山さん)
午前8時を過ぎると、通勤途中の会社員が忙しそうに行き交う。車の通行量も多くなった。そんな風景のなか、石山さんは手ぬぐいで汗をぬぐっては、ときたま顔見知りが通ると、あいさつをして客を待つ。
開店から2時間後の9時10分、商品は完売した。石山さんは、また1時間半かけて、家まで戻る。車内では疲れて寝てしまうことが多い。いつまで続けるのだろうか。
「やめらんねえよ。おれをこうやって待ってくれる人がいるからね。1日でも休むと、“おばちゃん、どしたの? 大丈夫?”って言われちゃうから」
石山さんが行商を始めた当初バラックばかりだった街並みは、1964年の東京五輪を境に近代化が始まった。1967年には銀座通りを走っていた都電が廃止され、ビルが次々と建ち、東京でいちばんのネオン街に変わっていった。
「今は高いビルばっかり建っているけど、どんどん人がいなくなってる気がするね。少し前までは、近くに麻雀屋さんがあって、朝に徹夜明けの人がよく買いに来てくれたよ」(石山さん)
そう言って、地下鉄の改札に向かっていった。数歩進んで振り返る。
「だけど、人情は60年、変わんねえ」
※女性セブン2014年7月24日号