あまりにもインパクトのある会見により、一夜にして世界の有名人となってしまった「号泣県議」の野々村竜太郎氏(47)。兵庫県川西市の市役所勤務という過去を持つ野々村氏は、市役所でも「扱いにくくてかなわん」(同市役所職員)ということで、いくつもの部署をたらい回しにされたそうだ。
大声でわめき散らすこともあり、市民とかかわる部署にいると「何言いだすかわからん」ということで、外部の人と会わずに済む部署に移された。だが、職場でそのような評価を受けていても、母親にとっては自慢の息子だったようだ。
野々村氏が川西市職員だったころの一家を知る人物がいう。
「“うちの子は北野高校を出たんや”いうのがお母さんの口癖でね。息子さんが市役所に入って間もなくの頃、近所を通ってる水路がどぶ臭くて、それを埋め立てようっていう話になったんやけど、野々村さんのお母さんが率先して署名集めをしていました。“ウチの子は市役所に勤めてるから、署名があれば絶対に実現してくれるから”って」
その後、阪神大震災が発生したために埋め立て話は頓挫してしまったが、母は息子の実力を信じ、溺愛していたという。
「野々村さんが選挙に出ては落ちてを繰り返していた時は、お母さんが横に立って挨拶したり、もう手取り足取りやったからね。40を超えた息子にそこまでしなくても、というほどやった」(別の近所住民)
身近に欠点をズバリと指摘してくれる人がいれば、こんなことにはならなかったかもしれないが、今となってはもう遅い。
※週刊ポスト2014年7月25日・8月1日号