7月6日、午後6時。超満員にふくれ上がった名古屋市・愛知県芸術劇場。結成40周年を迎えた甲斐バンドの記念ツアーの幕が開く。バンドメンバーに続いて甲斐よしひろが姿を現すと、初日の興奮を抑えきれない野太い声援や黄色い歓声が飛び交う。2曲目の後、
「サンキュー、めいっぱい最後までやるからね。やるよォ!」
甲斐は40年というキャリアを感じさせないほど軽やかに、なおかつヘビーでスリリングなステージを見せる。日本ロック史を彩った数々のヒット曲、これまでほとんど演奏されたことのないレアなナンバー、そして会場を訪れた観客に用意された最新曲まで、いかにも節目らしいプログラムとなった。
「40年目の前向きな意欲をあえて説明する必要がないようにチケットに、マキシシングルをつけた」
言葉で饒舌に語るよりも歌にメッセージを託し、そしてステージで昇華させる。甲斐バンドが40年前と変わらずに守ってきたことだ。
「甲斐バンドよりも前からロックをやった人たちはいるけど、おれたちはロックを"売った"という意味では第一世代」
甲斐が語るように、1975年のセカンドシングル『裏切りの街角』は、ベストテン内に入る初のヒット曲となった。そして1979年の新年を迎えた瞬間、すべての民放から「SEIKO」のCMソングとして鳴り響いた『HERO(ヒーローになる時、それは今)』は、チャートの1位に輝く大ヒット曲となった。
当時の人気番組『ザ・ベストテン』(TBS系)にも、たった1度だけの条件で出演し、同番組がそれまでで最高視聴率を記録する。同じ1979年秋には、まったくタイプの違う『安奈』を歌って再び大ヒット。今なおクリスマスシーズンにカラオケで歌われる味わい深いナンバーとなった。
そして甲斐バンドの伝説は、ライブでこそ本格的なものとなる。
「誰もやったことのない場所を開拓していきたい」
甲斐はメンバーやスタッフに宣言し、1979年に日本のロックバンドとして初めてNHKホールを使用したのを皮切りに、箱根・芦ノ湖畔ピクニックガーデン(1980年)、大阪・花園ラグビー場(1981年)、現在は都庁が建っている西新宿5号都有地(1983年)、両国・新国技館(1985年)と続く。
電源もトイレも水道もない野外でライブを行うことは、現在の若いアーティストたちの“手本”となったのだ。これだけの実績があっても、甲斐には「時代の最先端を切り取っていくのがロックの使命」との思いがある。その旅の答えは、まだまだ先にありそうだ──。
※女性セブン2014年7月31日・8月7日号