韓国の歴史教科書を見ると「韓国軍の戦力増強と経済発展に寄与した」とほとんどがベトナム派兵をプラス評価をしている。
最近は「(1万5千余人の戦死・戦傷者のほか)多くの枯葉剤被害や民間人の犠牲、ライダイハン(韓国兵とベトナム人女性の間に生まれた子供)など多くの問題を残した」(天才教育社刊「高校韓国史」から)といった批判的、否定的な記述も多少、付け加えられるようにはなった。
しかし、韓国軍の“民間人虐殺”について記述しているものは皆無だ。話題になった保守派教科書の教学社版は、
「米国の軍事的、経済的支援確保に寄与した。米国の軍事援助や借款、経済支援、派遣人力(兵員)の送金、韓国企業の進出などは1960年代の韓国経済成長の牽引車の役割をした」
とする一方で、「約16万人の枯葉剤被害者を生んだ」と書いているだけだ。
歴史的にはベトナム派兵と日韓国交正常化(1965年)が重なるが、歴史教科書ではベトナム派兵による経済効果はすべての教科書が記述しているのに、それよりはるかに韓国経済の発展に寄与した日韓国交正常化については教学社版だけが「経済建設に大きく寄与した」とたった1行触れているに過ぎない。
他の教科書は完全に無視している。日本がらみとなると韓国の歴史教育がいかに片寄っているかの代表例である。
韓国軍にとってベトナム戦争は初めての海外派兵だったため張り切り過ぎた(?)結果、禍根を残した。当時は強烈な反共時代で「滅共」が国家スローガンになり北朝鮮への敵愾心が強かった。“ベトコン掃討作戦”は対北戦争の予行演習でもあった。
今でも軍OBたちは 「戦争には負けたが戦闘では勝っていた」と言って自らを慰めている。
文■黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
※SAPIO2014年8月号