中国の最高指導者、習近平国家主席の子飼いの側近で、天津市の地方幹部が中国の経済政策を立案・実行する国家発展改革委員会副主任と国家エネルギー局長に任命された。この2つの役職は次官級ポストで、地方幹部が昇格するのは極めて異例。習近平指導部は北京、天津、河北省を統合する首都経済圏プロジェクトを打ち出しており、この幹部の登用は同プロジェクト実現の布石とみられる。
この幹部は天津市人民政治協商会議(市政協)主席だった何立峰氏。何氏は1955年2月生まれで57歳。広東省の生まれだが、文化大革命時代(1966~1976年)の1973年に福建省の農村に下放され、文革後の1978年に同省の厦門大学に入学。卒業後の1984年、廈門市政府に入り、その翌年の1985年6月に河北省から廈門市副市長とした習氏の下で、福建省で順調に幹部の経験を積んだ。
2002年に習氏が浙江省長として転任するまで廈門市トップや福州市トップ、福建省党委書記として、習氏を補佐した。
その後、何氏は2009年に直轄市である天津市副書記として、同市の経済特区である「濱海新区」プロジェクトを任される。この際、何氏を特区のトップに推薦したのが、浙江省トップだった習氏とされる。しかし、当時の市トップだった張高麗・市党委書記(現在の政治局常務委員)と反りが合わず、市政協主席と閑職に回されてしまう。
習氏が中国の最高指導者に就任して2年あまりが経った6月下旬、国家発展改革委員会副主任と国家エネルギー局長に任命されており、「何氏の能力を高く評価している習主席が、何氏を天津市の閑職から中央の檜舞台に抜擢した」と米国に拠点を置く中国情報専門の華字ニュースサイト「博訊(ボシュン)」は分析する。
というのも、現在の天津市のトップは福建省トップだった孫春蘭(党政治局員)で習近平人脈に連なっており、「孫氏も、何氏も習氏の一本釣り」(博訊)というわけだ。
北京の党幹部は「何氏は経済特区プロジェクトに精通しており、経済政策の中心機関である国家発展改革委員会副主任に抜擢されたのは首都経済圏プロジェクトを推進するためとみられる。また、河北省は石炭の産地だが、大気汚染の元凶となっていることから、何氏が国家エネルギー局長に就任したのは河北省の大気汚染対策を視野に入れた重要な人事といえる」と指摘している。