2億円稼いだ株トレーダー“ウルフ村田”こと、村田美夏さん(43)。「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)や「深イイ話」(日テレ)などへのテレビ出演を機に、いま注目を集める株トレーダー・投資家・実業家だ。
東大経済学部首席卒業、銀行勤務という才媛ながら、キャバ嬢に転身してNo.1を獲得、好物はわかめラーメン(100円)という破天荒なキャラクターにも注目が集まっている。村田さんはなぜ株で成功できたのか? その素顔に迫った。【前編/ウルフ村田誕生まで】
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――東京大学経済学部を首席で卒業し、日本長期信用銀行に入行された村田さん。勉強は得意だったのですか。
村田:私は得意なことと苦手なことの差が大きいんです。例えば短期記憶は得意ですね。でも長期記憶は苦手。受験は短期記憶で乗り切れましたが、長期スパンで物事を分析・構築していくのは苦手なので、研究者への道は難しかったんです。国際機関などで仕事をするには、Ph.D.(博士)を持っていたほうがいいんですよね。東大を出ているよりも、世界中のどこの大学でもいいからPh.D.をとったほうが、ある一定の国際社会では評価される。学歴社会なんです。私には実業の方が向いていると思い、銀行に就職しました。
――銀行生活はいかがでしたか。長銀は1998年に破たんし、村田さんはその2年後に辞められています。
村田:サラリーマンには向いてなかったですね。事務知識のペーパーテストでは100点を取れるんですが、実際にやってみると苦手(笑)。キャリアを積んでいくと必ず必要になる、様々な能力にも欠けていると自覚しました。東大を出ているのに大企業で活躍出来ない人っていると思うんですが、完璧に使えない人間になる前に自分から辞めようと思いました。ただ、30歳までは勤めようと。
――なぜ30歳までは辞めなかったのでしょうか。
村田:7年くらい勤めてようやく、金融機関勤務としての経歴が認められると思ったからです。私は1993年に入行して、1998年に長銀が破たんしました。その時点で勤務5年。5年では短いので7年はいようと考えていました。1997年に山一證券も破たんしていて、当時、転職市場に優秀な人材があふれていたので、その中にキャリアの浅い私が飛び込んでも不利だという認識もありましたね。
――その後、キャバ嬢になられたんですよね。驚くべき転身です……。
村田:一度やってみたかったんです。お酒が好きだし、キャバ嬢テイストの服も好きで、いまでも街でそういうお店を見つけると吸い寄せられていく……。銀行を辞めて30歳、容姿では勝負できませんから、トークで乗り切れそうなお店を探してやってみたら、東大卒のマシンガントークの変わったキャバ嬢がいるって珍しがられて人気が出ました(笑)。
当時から株はやっていたんです。9時から15時までトレードやって、夕方、よっしゃ、飲みに行くぞ! と友人を誘っても、当然みんな忙しい。断られるとフラれた気分になるんですよね。だったら飲むのを仕事にしようって、合理的判断も働きました。経験としてやってみたいと始めた仕事だったので2年で辞めました。
――キャバ嬢をやって学んだこと、得たことってなんでしょう。
村田:人を楽しませたり、喜ばせたりするものってなんなのか。一方で、騙されないギリギリのラインとか……ね。やらなくても想像で分かる人っていると思うんですが、私は経験しないと分からないタイプなのでやってよかったですね。その後の仕事にも活きていると思います。