ウクライナ東部で発生したマレーシア航空機撃墜事件は、ロシアの支援を受けたウクライナの親ロシア派による攻撃との見方が強まっている。
ケリー・米国務長官が名指しでロシアの関与を批判するなど紛争の激化は必至の情勢の中、この事件は別の意味でも大きな国際問題を引き起こした。
乗客の中に、オーストラリアのメルボルンで行なわれる第20回国際エイズ会議(7月20日~)に参加するはずだったエイズ研究の世界的権威が含まれていたのだ。
国際エイズ学会が発表した声明は、事態の深刻さを物語っている。
<エイズとの戦いにおいて、文字通り「巨人」を失った>
一時は「100人以上のエイズ学会関係者が搭乗」との情報が飛び交ったが、現在確認されているのは6人。しかし中には、「巨人」という表現がふさわしいHIV研究の最重要人物がいた。
国際エイズ学会の元会長で、アムステルダム大学学術医療センター教授などを務めたユップ・ランゲ氏(享年59)だ。「必ず死に至る病」として恐れられたエイズの治療に、ランゲ氏が果たしてきた役割は大きい。
1990年代半ばには、それまで単独の抗ウイルス薬一辺倒だったエイズ治療に複数の薬剤を使用するカクテル療法を提案。2003年にはHIV感染者の母親が授乳期に抗レトロウイルス剤を摂取すると、子供のHIV感染率が1%以下にまで抑えられると報告した。
こうしたランゲ氏の旗振りのもと、HIV新規感染者は減少を続けた。昨年は210万人で、2001年の340万人から38%も減少している。国際エイズ学会の関係者がいう。
「ランゲ氏は近年、貧困地域への治療薬普及に尽力していた。HIV感染者、死者はアフリカなどの貧困国に集中しており、エイズ撲滅にはほど遠い現状です。彼は安価な薬をそれらの国の人々に提供すべく、巨大製薬会社や、研究機関と常に戦い続けていた。
時には国家を敵に回すことすら厭わなかった。『エイズ外交官』との異名もあったほどです。そんな人物を失ったことで、エイズ撲滅の道のりはさらに険しいものになった」
ランゲ氏は、メルボルンの国際エイズ会議でパネルディスカッションの司会を務める予定だった。議題は、貧困国での治療促進戦略だったという。
ランゲ氏はこんな言葉を遺している。
「もし我々が、冷えたコーラやビールをアフリカのあらゆる僻地にまで普及させることができるのだとすれば、薬でも同じことをできないはずがない」
一発のミサイルが奪ったものは、あまりにも大きい。
※週刊ポスト2014年8月8日号