高校野球は時代を映す鏡でもある。フリーライター・神田憲行氏がスタンドで見た「老人格差」とはなにか。
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平日の午前中に地方大会の球場に行くと、観衆の中に試合をしている両校関係者ではない、年金生活者であろうリタイア世代の人たちが多いことに気づく。その人たちを観察していると、「二つの層」に分かれていることに気づく。
ひとつは名門高校のOB、OGたちだ。
彼らは集団でやって来て賑やかに座っているからすぐわかる。「シゲちゃん」「サトシ」とか下の名前で呼び合い、校名のタオルマフラーを首に掛けたり、メガホンも持っている。もちろん校歌は全力で歌う。慶應義塾高校の試合ではネット裏にひときわ賑やかな団体がいた。「ビールの売り子さんは回ってこないの?」とか言ってる。地方大会の球場ではビールは売店で買えるが売り子はいない。男子校なのに同年配の女性もいるから、慶応ヒエラルキーの頂点に君臨する幼稚舎出身の方々かしら。
試合が始まってもどこまでルールをわかっているのか不明だが、ヒットが出れば拍手をして、点を取られると子どもみたいに悔しがる。
自分たちの試合が終わると、第2試合は見ずにそそくさと球場を後にする。繰り出すのは近くでやってる居酒屋やパブだ。高級な店ではないが、プチ同窓会のように同じ世代だけでなく年の離れたOBたちとビールをあおる。高校野球は年に1度、そういう「場」として機能しているんだなと思う。
もうひとつのリタイア世代は、たったひとりでやってくる。
開門するやすぐ飛び込んでスタンドの隅にぽつんと座り、ただグラウンドを見つめている。スコアを付けるわけでもない。拍手するわけでも残念がるわけてもない。ときおり家から持ってきたタオルで汗を拭い、淡々と目の前の試合を目で追っている。もちろん第1試合だけで引き上げずに続いて第2試合も、陽射しに身体を丸めている。
観戦料は何試合見ても1日500円。でも毎日通うと費用がかかる。球場内の水や食べ物は割高だから、お昼になるとごそごそとビニールのエコバッグから取り出すのはコンビニのオニギリや水筒だ。一日の終わり、球場からの帰り道で今日見たファインプレーや熱戦を語り合う友は彼にはいない。
「老人格差」といのうは大げさだが、彼らの間には明らかに太い一本の線が引かれている。関東出身でも一流高校出身でもない私が30年後にたどり着くのは、後者で間違いない。朝は無駄に早起きして、老人パスで無料になったバスや電車に身を揺られ、なけなしの500円を支払ってネット裏にぽつんと座るのだ。
せめてエコバッグから取り出すのは妻が作ってくれた弁当でありたいなあ。
「あらあら今日も見に行くの? 毎日毎日お疲れさまね」
と笑われながら、妻が用意してくれた弁当。球場でも手のひらに載るぐらいの小さな、丸いお弁当を取り出してついばんでいるお年寄りがいた。あれが私の理想の着地点かもしれない。