【書評】『金魚鉢の夏』樋口有介/新潮社/1836円
【評者】末國善己(文芸評論家)
所得格差が広がり、低賃金で働く人の給与が、生活保護の受給額を下回る逆転現象が起こるようになった。その結果、生活保護への風当たりが強まっている。こうした社会問題を取り入れたミステリーが本作である。
生活保護が廃止された近未来の日本では、生活費を稼げない人は「希望の家」という福祉施設に入る決まりになっていた。成績が優秀だったので、「希望の家」出身としては珍しく高校に進学した由希也が、夏休みを利用して帰省するところから物語は始まる。由希也は妹同然の蛍子と再会するが、そこに老婆の転落事故が起きる。
これが普通のミステリーなら、警察か探偵が事件解決に乗り出すのだが、本書の舞台は、福祉を含むあらゆる予算が削られた社会。当然ながら警察も経費削減を迫られていて、被害者が重要ではない人物の捜査は、民間に委託されている。そのため、老婆の転落事件は、元刑事の幸祐と女子大生の孫娘・愛芽のコンビが担当することになる。
ふたりの捜査によって、近未来の日本の状況が少しずつ明らかになっていくのだが、これがかなり凄まじい。
生活保護の廃止で低賃金で働く労働者が増え、アジアに進出していた工場が国内に回帰し、日本は空前の好景気にわいていた。だが工場労働者の賃金は低く、持つ者と持たざる者との間で階層の固定化が進んでいた。厳罰化と犯罪者への権利縮小で犯罪が減ったため、多くの国民は一生低賃金で働き続けるか、衣食住は保証されるが自由に制限がある「希望の家」に入るかの選択を迫られているのである。
タイトルの「金魚鉢」は、バケツで金魚を飼っている蛍子のために、由希也が買い与えたものである。狭い空間から出られないが、飢えることのない金魚は、将来に希望が持てず閉塞感に苦しむ由希也たちに重ねられており、同じような状況にいる若い世代も共感できるのではないか。
景気も治安もよくなった日本だが、老婆の転落死を追う幸祐と愛芽は、誰も不満を持っていないように見える「希望の家」と、この施設を作り出した社会の矛盾を暴いてしまう。ここにあるのは、どれだけ社会が変化しても、人間の欲望と心の“闇”は変わらないというドライな認識だ。生活保護の縮小、犯罪の厳罰化を求める声が高まっているが、それが実現した先に楽園はあるのか?
本書を読むと、日本はどんな未来を選択すべきかを考えさせられる。
※女性セブン2014年8月14日号