東海道新幹線は今年で開業50年を迎える。日本の高度成長の象徴ともいえる0系や100系の新幹線には鉄道ファンのみならず、特別なシンパシーを抱く人が少なくない。ノンフィクションライターの北尾トロ氏は、1974年に登場した「食堂車」について述懐した。
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旅の愉しみと言えば「食」である。そして新幹線と食について考えるとき、どうしても外せないのが食堂車の存在だと、我々の意見は一致する。洒落たレストランで食事しながら旅をするなんて、それまでの常識にはまったくなかったのだ。
食堂車の登場は1974年。セブン-イレブンの第1号店(東京・豊洲)がオープンした年でもある。ぼくが食堂車への憧れを募らせたのは、それから少し時間が経った70年代後半。大学生になり、実家のある九州へ帰省するたびに新幹線を利用するようになっていた。食堂車と言えば、いまでも忘れられないのが、通路からチラッと見えた、初老の紳士が腰かけたテーブルの上の光景だ。ビーフシチューとパン、サラダもあったろうか。その横にビールの小瓶が置かれているのが、旅慣れた大人みたいでカッコ良かった。
「わかる、わかる。小瓶なのが粋なんだよね。で、真似したいと思うんだけど、若造にとってビーフシチューは高級で手が出なかった」
カンゴロー(フォトグラファー)も、食堂車に憧れを抱いた一人だったらしい。そうそう、哀しいかな、金のない学生にはカレーが精いっぱいだったなあ。
「そのカレーが欧風でね。食後にコーヒーを頼んで粘ったもんだ」
帰省ラッシュの年末などは自由席が大混雑するので、なるべく食堂車にいる時間を長引かせたかったのだ。特別な乗り物だった新幹線が、長距離移動に欠かせない乗り物になったのが、この時代だったかもしれない。
「0系や100系の食堂車に、いまも会える場所が『リニア・鉄道館』。名古屋ですが行ってみますか?」
おっさん隊の事情通・ヒラカツ(編集者)に引率され、カンゴローと3人で出かけることにした。
歴代の新幹線を始めとする栄光の車両が勢ぞろいする『リニア・鉄道館』は、平日にもかかわらず親子連れでにぎわっていた。すべての車両はピカピカに磨き上げられ、完璧な状態。鉄道マニアではない我々でさえ興奮が隠しきれない。もう、食堂車なんかなめるように見て回るのだ。
「懐かしいなんてもんじゃないね。意気込んでやってきたら通路に列ができていて、仕方なくビュフェで食べる寂しさよ」
「車窓側に空席があるとうれしかったりね。あの辺の席が理想的だった」