安倍政権の“暴走”がいよいよ顕著になってきた。「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を強行したこの国は、いったいどこに向かっているのか。大前研一氏は、安倍政権の行く末に警鐘を鳴らす。
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ついに安倍内閣は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。自民党と連立政権を組む公明党は思いのほか行使容認にしぶとく反対したが、その理由は(政教分離のはずだが)支持母体の創価学会と親密な中国に配慮したからだと思う。
公明党の抵抗によって、自衛権を発動するために必要とされてきた3要件が見直され、集団的自衛権を含む「武力行使」については、
(1)我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
(2)我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる
という「新3要件」をすべて満たす場合に限られることになった。しかし、これはあくまでも国内向けであり、海外の国家元首たちは全く違う解釈をしている。
たとえば、南シナ海の領有権争いで中国と対立しているフィリピンのアキノ大統領は、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した直後に、記者会見で国民にこう説明している。
「朗報があります。我が国と他国の間で紛争が起きたら、友好国の日本が助けに来てくれることになりました……」
オーストラリアのアボット首相も同様に、国民に向かってこう述べた。
「我が国がいざという時には、友好国の日本が駆けつけてくれることになりました……」
あたかも、これらの国で有事が起こった際には、日本が武力介入してでも助ける義務を負ったかのようだ。
つまり、集団的自衛権の行使が「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」場合に限定されるという新3要件のニュアンスは、海外には伝わっていないのだ。公明党が存在意義をかけた「集団的自衛権」への縛りはどうして反映されていないのか。おそらく外務省の対外的な発表に、それが盛り込まれていないからだろう。
しかも「我が国と密接な関係にある他国」について、安倍首相はアメリカだけでなくフィリピンやオーストラリア、ニュージーランドなども含むと政府内で明言しており、そう外務省が各国に伝えているから、それらの国が「いざという時は日本の自衛隊が駆けつけてくれる」と解釈しているのではないか。
そうでなければアキノ大統領やアボット首相が、あれほど自信を持って国民に説明するはずがない。この事実を何も追及していない野党、報じていない日本のジャーナリズムは、あまりにも怠慢かつお粗末だと思う。
※SAPIO2014年9月号