多くの著名人が暮らす都内の高級住宅街でも、ひと際目立つ3階建ての白亜の豪邸。玄関やテラス、屋上には緑の木々が植えられ、自然に囲まれた生活を送ることができる。この家の主は竹野内豊(43才)。完成したばかりのようで、真新しくピカピカなのだが、今この邸宅は重い雰囲気に包まれていた。
「竹野内さんは5年ほど前に、この豪邸が建つ土地を購入していたんですが、今年4月に家を建てて、ご両親を迎え入れたそうです」(竹野内の知人)
しかし、一緒に暮らし始めたばかりの父親(享年73)が8月5日、肺がんのため亡くなっていた──。
竹野内は1971年1月、自衛官だった厳格な父の長男として誕生した。幼い頃の竹野内は、釣りなど外で遊ぶのが大好きなヤンチャな男の子だったが、父の前では大人しかったという。
俳優としてブレイクした竹野内は、家族への感謝の思いを忘れることはなかった。
「当時、ご両親は埼玉に住んでいたんですけど、豊くんは忙しい合間を縫っては、顔を見せに帰ってきていましたよ。しかも、“まとまったお金が入ったから”なんて言って、新しい冷蔵庫を買って持ってきたりして。親父さんはそんな息子の気持ちを本当に喜んで、その冷蔵庫を大事に使っていました」(前出・竹野内家の知人)
竹野内が父親の存在を強く意識した作品があった。それは2011年2月に公開された主演映画『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』だ。
竹野内が演じたのは、太平洋戦争の激戦地サイパンで、わずか47人の小隊を率い、512日間の長きにわたり4万5000人ものアメリカ軍と戦い続けた伝説の日本兵だ。この作品の出演オファーが来たとき、竹野内は“戦争を知らない自分が、本当に演じられるのだろうか”と葛藤したという。
「竹野内さんは自分が演じる日本兵とお父さんがだぶったそうです。口にするより、行動で示す部分が重なって、自然とお父さんを意識して演じていたみたいですよ。また、そんな竹野内さんに元自衛官のお父さんも敬礼の仕方を教えたそうです。竹野内さんが、60年以上も前の日本人たちはどんな心情だったのか、ということに思いを馳せるうえで、“親父の敬礼が道しるべになった”なんて話していました」(映画関係者)
竹野内の父親は退官後、彼の作品を見るのが生きがいだったという。“息子を応援するためだったら”と、渋々ながらもテレビに出演したこともあった。
きっと竹野内にとって、厳格な父の背中は、ずっと追い続けてきたものなのだろう。そんな最愛の父を突然襲った病魔──。
「竹野内さんは昨年3月に11年連れ添った愛犬・ウィリー(犬種・グレイハウンド)を亡くしたばかりです。死に目に立ち合った際、最期の瞬間にウィリーの“今まで、ありがとう”という感謝の気持ちが伝わってきて、号泣したと話していました。愛する存在と最後にきちんとお別れをすることの重要性を体験した竹野内さんは、お父さんが最期の瞬間を迎えるときは一緒にいたい、そして最後の親孝行がしたいと考えて、家を建てたんだと思いますよ」(前出・竹野内の知人)
わずか4か月という限られた時間とはいえ、息子が自分のために建ててくれた家で生活できたことは、父にとっては格別な思いだったことだろう。そんな父への感謝の思いがいっぱいつまったこの家には今日も暗い闇が降りている。
※女性セブン2014年9月4日号