【書評】『日清戦争』/大谷正/中公新書/860円+税
【評者】山内昌之(明治大学特任教授)
日清戦争と呼ばれる歴史的事件は、三つの戦闘の複合戦争である。著者によれば、朝鮮との戦争、中国(清)との戦争、そして台湾の漢族系住民との戦争という相手国や地域の異なる複雑な戦争なのだった。
戦争の始まりは、1894年の朝鮮王宮攻撃であっても、下関講和条約で終了せず、朝鮮や台湾の住民との戦闘が続いたのである。「終期の曖昧な戦争」という表現は要を得ている。また、戦争を決断した者として、川上操六参謀次長と陸奥宗光外相の存在が強調されがちだが、やはり伊藤博文首相の責任が重いという見解を示すことも忘れない。
重要なのは、大本営の戦争指導が必ずしも徹底しなかったことだ。第三師団長桂太郎は、陸軍省にあって軍政の整理を行い、命令の上意下達を図っていたにもかかわらず、いざ指揮官として戦場に臨むと大本営を無視し「度重なる暴走」ぶりを見せた。第五師団長野津道貫の平壌独断攻撃も同じである。
著者は、この点を昭和陸軍の統帥の乱れと関連づけて議論していないが、陸軍の下剋上的気運や現場の暴走は帝国陸軍の宿痾だったのだろう。
明治天皇は戦争に不本意だったらしい。開戦奉告祭も式部長に代行させ、先祖から継承した帝位と国家を危うくする対外冒険策を嫌ったのである。壮年天皇として明確な意志をもつ統治者として、「大臣の戦争」を批判した点も指摘される。著者は、天皇が単なる平和主義者でなく怒りも一時的なものだったと考える。他方、戦争が「大きな心の負担」であり、「戦争中に大きなストレスを溜め込んでいた」とも述べる。
統帥の最高権者として、明治天皇の心中は相当に複雑だったのではないだろうか。天皇は、単純な軍国主義者でもなかったはずだ。一読後、むしろ立憲君主国家元首の政治意志を統帥権と如何に調和させるのかという解決困難な問題を、天皇に深く自覚させた事件こそ日清戦争だったのではないかという感を抱いたものだ。
※週刊ポスト2014年8月29日号