名門・PL学園高校野球部が甲子園から消えて5年が過ぎた。昨年2月に暴力事件が発覚し、高野連から6か月の対外試合禁止処分が下されると、監督の河野有道が辞任。野球未経験の校長・正井一真(66)が臨時措置として監督に就任した。1年半が経過した現在も正井が監督のまま、実質指揮官不在の異常事態が続いている。
これまで日本の野球界に多くの人材を輩出してきたPL学園の監督がなぜ決まらないのか。関係者がだんまりを決め込む中、重い口を開いたのが当事者である「校長監督」の正井だった。
「現在、野球部にふさわしい監督を探している状況です。新監督が決まる前に、(秋季大阪大会の)締め切りが来てしまったというのが本当のところですね」
甲子園に春夏合わせて37回の出場を誇る野球部は、2009年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。名門復活を期す上で、長期に及ぶ監督不在はさらなる低迷を招きかねないだろう。正井が続ける。
「かつての野球部はあまりに特殊でした。一般の生徒と分かれた教室や寮で学園生活を送り、甲子園を目指していた。今は一般の生徒と同様の学園生活を送りながら、信仰心を持って、その中で甲子園を目指していく。むしろ以前に増して理想を高く持とうというのが学校の考え方です」
PL学園が一般的な私立高校と事情が異なるのは、宗教法人「パーフェクトリバティー(PL)教団」を母体とする点だ。信者ではない生徒が入学する際には、両親と共にPL教団への入信が義務づけられる。
「次の監督は、教団と野球部の思惑が違う方向になった時に、ある程度は教団の思惑を尊重していただける方にお願いしたい。といっても、私の一存では決まりません。前任の河野監督の時から、教団の辞令によって監督人事が決められているのです。ですから、監督にも信仰心が求められるし、教団が納得するような方でなければ、すんなりとは決まらないのです」(正井)
そうした特殊事情による指揮官不在の状況の中、PL学園は今夏の大阪大会で決勝に進出した。5年ぶりの甲子園出場を狙ったものの、大阪桐蔭を相手に1-9で敗れてしまう。
試合中、代理監督の正井は「がんばれ」と声援を送るだけ。投手交代は二塁を守る主将の中川圭太が指示し、攻撃中は背番号「14」の控え選手が打者や走者にサインを送っていた。学校が混乱の中にあっても準優勝の結果を残したナインは讃えられるべきだが、試合を指揮する監督の不在が甲子園やプロ野球選手を夢見る選手にとって望ましい状況であるはずがない。(文中敬称略)
文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2014年9月5日号