ヒトラーの独裁政治を批判した映画『独裁者』が公開されたのは今から半世紀以上前のこと。その後、繰り返し独裁者や独裁政治が批判されてきたが、その弊害は世界から消えない。現在、世界中のあらゆる場所で独裁的傾向が強まっており、日本も例外ではないと指摘する大前研一氏が、その危険性を指摘する。
* * *
今、世界では政治リーダーの独裁化が顕著になっている。
その代表格は、ロシアのプーチン大統領だ。メドベージェフ首相との「タンデム体制」で大統領と首相のポストを交互に務めているが、結局、プーチンがすべての権力を握り、今やメドベージェフは全く存在感がなくなった。しかも憲法を改正して大統領の任期を4年から6年に延ばしたため、2018年にプーチンが再選されれば、2024年まで大統領に在任することが可能になっている。
憲法改正で長期政権を可能にした独裁者の典型はベラルーシのルカシェンコ大統領だが、20年にもわたる隣の独裁国家に次ぐ長期政権が、ロシアでも続くだろう。安倍首相も今や独裁者の特徴を具備し始めており、“歯止めなき暴走”になりかねないと私は危惧している。
もともと日本という国は、独裁を許しやすい国民性を有していると思う。私は先の大戦について、なぜ日本は勝ち目のない戦争をしたのかということを大勢の年配者に質問したが、誰もが「私はあの戦争に反対だった。でも、そんなことを言える雰囲気ではなかった」と答えた。大日本帝国憲法下で国家元首として統治権を総攬(そうらん)し、陸海軍を統帥していた昭和天皇も(『独白録』には戦争に反対だったと書いてあるが)軍部の暴走を止められなかった。
つまり、当時の日本人は軍部の方針を追認して支える翼賛体制に従い、朝日新聞や日本放送協会(NHK)などのマスコミにいたっては積極的に協力し、事が終わってから啓蟄(けいちつ)の虫のように穴から出てきてブチブチと文句を言っているのだ。
独裁が進めば進むほど、異論を唱えるのが難しくなる。その中で、どうすれば“歯止めなき暴走”を防ぐことができるのか──。それに対する反省がないまま、今また安倍首相の独裁化を容認し、「いつか来た道」を進もうとしている。
※週刊ポスト2014年9月5日号