8月20日未明、死者70人(8月27日現在)という未曾有の土砂災害が発生した広島市北部の山あいは、1週間が経った今も、その傷跡を深く残している。
「このあたりはギリギリ大丈夫だったけど、ちょうど帰省していたタイミングで、こんな大惨事が起こってなぁ…。あの子も本当にショックを受けていたよ…」
そう語るのは、被災地となった安佐南区に暮らす綾瀬はるか(29才)の親族である。芸能活動を始めるために16才で上京したが、それまでこの地で暮らした綾瀬は、死の“濁流”が故郷をのみ込んだ、まさにその日、実家に帰省していたため、この悪夢のような光景を目の当たりにすることとなった。
「お盆に3日間休みがもらえたみたいで、8月18日から広島に帰ってきていたんです。彼女のおばあちゃんが入院していて、そのお見舞いも兼ねての里帰りでした」(前出・親族)
しかし、家族との穏やかな時間は、20日未明の殺人豪雨によって一変する。
「“台本読んでセリフ覚えないかん”って、あの子は自分の部屋におったそうですが、雨も雷もすごくてね。なかなか寝つけなくて、大変だったみたいです」(前出・親族)
深夜1時から4時までの3時間で、217mmという、観測史上最多の降雨量を記録した翌朝、目を覚ました綾瀬は、街の変わり果てた様子を見て絶句した。
「慌てて家を飛び出してひとりで外の様子を見に行ったそうです。被害の大きかった山の麓までは、さすがに危ないと思って行かなかったみたいだけど、母校の中学校の様子が、どうしても気になったようで、学校まで行ったみたいです」(前出・親族)
幸い母校は無事だったが、ここは今、300人を超える自衛隊の駐屯地となり、昼夜問わず50台の輸送トラックが出入りするという、物々しい雰囲気に包まれている。
「その後は、とにかく同級生や友人の心配をしていて、メールやLINEで、安否確認のやりとりをしとったそうです。家が浸水してしまった友達はいたみたいだけど、かろうじてみんな無事だったようで、ホッと胸をなで下ろしていましたよ」(前出・親族)
こうした地元の惨状を目の当たりにして、きっと綾瀬も自分にできることはないか、困っている人々の役に立てることはないかと、思案をめぐらせていたことだろう。しかし、彼女は仕事があったため、翌21日には、どうしても東京に戻らなければいけなかった。
「わずか3日間の滞在でしたけどね、家ではなすとかトマトとか、家の畑の野菜を使って、両親のためにいろんな料理を作ってあげたそうです。でも、こんな状況になってしもうてね…お父さんが、“こっちは大丈夫だから心配せんでええ”っていって、なんとか安心させてね、彼女を東京に帰したんです」(前出・親族)
※女性セブン2014年9月11日号