現在参議院議員として活躍する堀内恒夫氏は、読売巨人軍が1965年から1973年まで9年連続してプロ野球日本シリーズを制覇した時代を支えたエース投手だった。堀内氏は輝かしい成績の大エースでありながら、初々しいルーキー時代から素行と態度の大きさゆえに「悪太郎」の名で呼ばれていた。当時の寮長に巨人の歴代三ワルと呼ばれ、王貞治氏から鉄拳制裁を受けた時代の思い出を、堀内氏が語った。
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きっかけは1年目にあります。入団に際して記者が質問する時に、時間や場所をずらして1社ずつ同じようなことを聞いてくる。それで「面倒臭いから1つにまとめてくれ」といったんです。そんな生意気なことをいう高卒ルーキーなんていませんよね(笑い)。だから記者はカチンときたんでしょう。
それで2年目、腰を痛めて多摩川(二軍)で調整している時に総攻撃されました。生意気な堀内が二軍に落ちた、これで終わりだといわんばかりに、紙面に「悪太郎の目にも涙」だの「天狗の鼻が折れた」だの、それはボロクソに書かれました。まァ僕は常にマスコミとは戦いだと覚悟していたので、書かれても仕方ないとは思っていましたけどね。
<その2年目にノーヒットノーランを達成したのだから、批判が堀内をエースとして成長させる糧になったのかもしれない。堀内は当時、門限破りの常習犯だったと伝えられ、宿舎に帰った時に見つかりそうになってスーツ姿で湯船に隠れたとか、見かねた先輩の王貞治から鉄拳制裁を受けたといった伝説が残る。>
門限破りを繰り返したのは3~4年目になってから。それに、世間がいうほど破ってない(笑い)。
スーツで湯船に隠れたのは確かに1年目ですが、あの時は酒を飲んでいたわけじゃない。先輩が合宿を抜け出して僕も連れて行かれ、1人で先に帰された時に風呂場の窓から入ったところ、鬼軍曹といわれた武宮敏明寮長がたまたま見回りに来たので、慌てて湯船に飛び込んだんです。新調した白いスーツのまま、肩までお湯に浸かって隠れた。
その後スーツを絞って乾かすと、肩のところ横一線に垢の跡がくっきりつきました。当時3万5000円のスーツは、2000円で質屋に入れる羽目になりました。
王さんから殴られた話も事実です。あれは遠征の時で、夜に旅館の帳場で実家に電話をかけていたら、王さんがやって来て大広間に連れて行かれて突然殴られた。門限破りをするのは合宿所だけで、遠征先ではやったことはない。理由が分からないから殴り返そうかと思ったくらいです。
ただ、王さんは自発的に暴力を振るうような人じゃない。おそらく王さんに「お前が一度ガツンとやれ」と焚きつけた先輩がいたのでしょう。生意気で成績が上がっているから締めておけということ。まァ、1年目の選手に活躍されると面白くない人はいますから。
※週刊ポスト2014年9月5日号