読売巨人軍が1965年から1973年まで9年連続してプロ野球日本シリーズを制覇した黄金時代を、堀内恒夫氏はエースとして支えた。不動のエースと呼ばれていたが、意外にも川上哲治監督と言葉を交わすことはほとんどなかったという。当時の監督と選手との関係について、堀内氏が思い出を語った。
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川上監督は一言でいえば「雲の上の人」。ノーヒットノーランの時も、「よくやった」の一言もありませんでした。言葉をかけられるのは怒られる時くらいで、他には話したことは一度もありません。記憶にあるのは、ずっと後になってラジオで川上監督が「V9はОNの功績も大きいが、堀内がいなければ実現できなかった」と話しているのを聞いたことがあるくらいですね。
巨人は川上監督が上にいて、藤田(元司)さんのようなコーチが動いて選手たちに伝える。監督が直接、選手にものを言うことはなかった。
でも一度だけ、甲子園のベンチで長嶋(茂雄)さんを怒鳴りつけるのを見ました。阪神・江夏豊の調子が良く、ベンチに帰ってきた長嶋さんが「今日は打てないなァ」と漏らすと、川上監督が猛然と怒った。
「お前は日本一のチームでプレーして、日本一の給料をもらっているじゃないか。そのお前が打てないといえば、他の者も打てないじゃないか!」
チームの士気にかかわるのだから、責任を持てということでしょう。ベンチ内はシーンとなりましたが、叱られた長嶋さんもさるもの。次の打席でホームランを打って、試合後のインタビューでは「川上監督に激励された」と答えていましたからね。
川上監督はそういう操縦がうまいんです。長嶋さんを叱ると皆がピリッとするし、本人にはそれほど影響が出ないのを知っている。だから王(貞治)さんには絶対に怒らなかった。すべては計算ずくなんです。僕が怒られるようになったのは、V9も中盤以降。こいつを怒ったらチームが締まる、というのが分かっているんです。
※週刊ポスト2014年9月5日号