読売巨人軍による1965年から1973年の9年連続日本一を振り返るとき、ON(王貞治と長嶋茂雄)の打棒や堀内恒夫・高橋一三らの強力投手陣の活躍に注目が集まりがちだ。しかし守備力も忘れてはならない。なかでも最大のライバル・江夏豊に「最も守備が上手いいやらしい選手」と言われた黒江透修(ゆきのぶ)氏が、鉄壁の内野を築いた秘密のサインを明かした。
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二塁にランナーがいる時は必ず牽制することになっていました。牧野(茂)さんには「とにかく二塁ランナーを釘付けにしろ。そうじゃないと使わない」なんていわれていたので、二塁手の土井(正三)と何度も牽制に入ったものです。
土井と僕がベースに入ってランナーを引きつけ、進塁を少しでも遅らせる。もちろんそのときには僕と土井、僕と投手、投手と捕手など、それぞれの組み合わせでサインがありました。
一部をお教えしましょう。僕と土井の間では、土井がウインクすると僕が二塁に入ることになっていました。最初はサインでやっていたんですが、途中からは目で合図を送ればお互いにわかるようになりました。
牽制の際はセンターの柴田(勲)がバックアップに入ります。僕が何気なく右手を背中に回してグーにするのがそのサインでした。すると柴田が前進してくる。
サインが伝わったかどうかの確認もありました。例えば堀内(恒夫)との間では、僕のサインを受けた後、ズボンを触ったりロージンバッグを少し後ろに投げるんです。これは「アンサー」という返事のサインです。
捕手の森(昌彦)さんが球種を投手に伝えた後、ミットを下げると、マウンドの投手がいきなり牽制球を投げてくるというのもあった。当時としてはかなり高度な野球をやっていました。
そうした細かいサインがたくさんあったから、守備中は気が抜けなかった。しかも、当時の巨人にはサインを見落とすと「罰金」が課せられる制度がありました。スコアラーがいるのでベンチからも見落としはわかるし、選手同士で指摘されても罰金。僕や土井はサインの多いポジションだから、罰金が多くて参りましたよ。だからランナーには「二塁で止まらないで三塁まで走ってくれ」と、何度思ったことか(笑い)。
※週刊ポスト2014年9月12日号