9月27日に最終回を迎えるNHKのドラマ『花子とアン』は、大正時代を生きる女たちの”道ならぬ恋“が話題になった。
しかし、史実をひもとくと、この時代の恋愛事情は、ドラマよりずっと過激だ。風俗史家の下川耿史(こうし)氏が華族から庶民まで、大正~昭和初期の乱倫を振り返る。
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「昔の日本女性は現代と違って、みな貞操を守っていた」
そう思うのは大きな勘違い。単なる男の願望なのではないか。
例えば『花子とアン』の主人公・安東はなのモデルで、実在した村岡花子の結婚は、妻子ある印刷会社経営者・村岡敬三との略奪婚だった。はなの親友・葉山蓮子の駆け落ち事件のモチーフ「白蓮事件」にいたっては、とても清く正しいNHKの“朝ドラ”で描けるものではない。
蓮子のモデルは柳原伯爵家の令嬢で大正天皇の従妹にあたる歌人の白蓮(本名・燁子)。25歳年上の筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いでいた白蓮は、大正10年に7歳年下の弁護士・宮崎龍介と駆け落ちする。不倫の果ての逃避行だった。
白蓮らは新聞記者らと相談し、伝右衛門に宛てた離縁状を大阪朝日新聞に掲載。前代未聞の大騒動となった。
<この手紙により私は金力を以て女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の袂別を告げます>
新聞に掲載された離縁状の文面は激しい。叩き上げの炭鉱王として財をなした伊藤伝右衛門は若い頃から遊蕩三昧で、家には妾やその子供のほか、妾同然の女中らが同居していた。嫁いだ白蓮はそれら大勢との同居を強いられたのだ。
一方の白蓮も、自ら夫に新しい妾をあてがったり、自身専属の小間使いとして博多の芸者を身請けするなど、結婚生活は“乱倫”そのものだった。
※SAPIO2014年10月号