王貞治は1959年、センバツ優勝投手(早稲田実業)の経歴をひっさげて巨人に入団した。直後に打者に転向。オープン戦では5本塁打を放ったが、開幕戦で対戦した国鉄の金田正一に2三振を喫し、それ以降26打席無安打という苦いデビューを飾る。チームの4番には、前年に本塁打王を獲得した長嶋茂雄がいた。「ON」と並び称されたヒーローの王はもう一方のヒーロー・長嶋をどう見ていたのか。約40年経った今、王氏が口を開いた。
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いってみれば長嶋さんが長男で、僕は次男坊なんですよ。だから川上(哲治)さんは長嶋さんを叱っていました。長嶋さんを叱れば他の選手にも伝わり、チームを引き締められるという考えがあったからでしょう。長嶋さんも分かっていたんじゃないかな。ただ、長嶋さんは何をいわれても、そんなの関係ないというくらい自分の世界で野球をやっていましたね。
僕はというと、川上さんから叱られた記憶はあまりありません。まァ、怒られるようなことはやっていませんでしたからね(笑い)。1966年に結婚してからは私生活面でも叱られることはありませんでしたよ。その頃はホームランを量産できるようになってきて、どうすれば打てるかと野球にのめりこんでいった。楽しくて、次の打席が待ち遠しくてたまらないような状態で、野球に集中できていましたからね。
実は僕は入団した最初のキャンプでは長嶋さんと宿舎で同室だったんです。でも、たぶん僕のイビキと寝相がひどかったからでしょう、1週間で大部屋へ移されちゃった(笑い)。だから僕は長嶋さんのお世話をしたこともないし、直接教えを受けたということもないんです。
それ以降同じ部屋になることは一度もありませんでした。長嶋さんも望まなかったし、こっちも少し打てるようになると、夜くらいは自由にさせてくれよという気持ちになりますからね。川上さんもそういう線引きをして、いかにして僕たちを野球に専念させるかを考えていたんじゃないかと思います。
※週刊ポスト2014年9月19・26日号