朝日新聞が慰安婦問題報道について、8月5日付朝刊に掲載された「慰安婦問題を考える」特集で誤りを初めて認めた。ところが、済州島での強制連行についての証言は虚偽だと認めたものの、他の事実について十分な検証が行われていないため批判が収まらないと、朝日新聞元ソウル特派員のジャーナリスト・前川惠司氏が指摘する。
* * *
韓国で元慰安婦が初めて名乗り出たとして掲載された、1991年8月11日の大阪本社版社会面トップ「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」についての、特集記事の弁明を見てみよう。
植村隆元記者が元従軍慰安婦・金学順(キムハクスン)さん(故人)のテープを聞いて「だまされて慰安婦にされた」と書いた記事だが、その後、この記事は、「数えの14歳の時に母からキーセンに売られた」との事実(※注)、つまり重要なWHATが欠落しているがゆえに、一連の慰安婦報道の火種になったと、朝日新聞批判派から指摘され続けた。
※注…朝日新聞は、金学順さんが「だまされて慰安婦にされた」と書いたが、金さん自身が原告の裁判などで、「家が貧乏で母親にキーセンに売られ、その後慰安所に行った」と証言している。
特集記事では、批判派が問題視する「売られた」を、「14歳からキーセン学校に3年間通った」という風にすり替えたような表現にしたうえで、植村元記者は、
〈そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた〉
と書いている。
「ウソをついた金さんが悪い。騙された記者は被害者」
と言っているのにひとしい言い訳ではないだろうか。この点だけでも、様々な批判を生んでも仕方がないと思わざるを得ないが、結局のところ特集記事では、批判派が追及する、「売られたかどうか」には応えておらず、事実の不在に朝日新聞はしらをきり通していると、読者には見えるのではないか。
金学順さんは植村元記者の第一報から6年後に亡くなっている。訃報を書いたのは当時ソウル特派員だった植村元記者だ。特集記事を素直に読めば、彼はテープを聞いて書いただけで、その後6年間の長き間、ソウルで彼女に会って確かめようともしなかったということになる。
8月5日の特集記事の「◇読者のみなさまへ」で、朝日新聞は、
〈植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉
と強調しているが、読者が知りたいことは、事実の不在であり、「なぜ、彼は当たり前の裏付け取材をしなかったのか」だ。
長らく沈黙しているのは、それなりの事情があり、それは何なのかなと考えてきたが、裏付け取材という当たり前の基本作業もしていなかったというだけだったのか、と余計驚いた。事実関係がおかしいと指摘された時点で彼女に会い、続報の形で読者に伝えておけば、これほどの問題にはならなかった。
※SAPIO2014年10月号