朝日新聞社長による謝罪会見へつながった「吉田調書」問題。先鞭をつけたのは、週刊ポスト6月20日号(6月9日発売)が掲載したジャーナリスト・門田隆将氏によるレポート〈朝日新聞「吉田調書」スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ〉だった。門田氏は、福島第一原発所長だった吉田昌郎氏を生前、唯一インタビューしたジャーナリストである。朝日新聞が書いた「所長命令に違反 原発撤退」はあり得ないと主張した門田氏に対し、朝日はどう答えていたか。改めて、全文を紹介する。
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(門田隆将 朝日新聞「吉田調書」報道の罪 全文掲載【5/6】のつづき)
しかし、その男たちも、今回の朝日の報道によれば、
〈外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない〉
ということにされてしまったのである。
本店の方針に逆らってまで「事故の拡大」を防ごうとした、つまり家族と故郷を守ろうとした福島の現場の人々は、こうして「現場から吉田所長の命令に違反して逃げた」ことになったのである。東電が憎ければ、現場で命をかけて闘った人たちも朝日は「憎くてたまらない」のだろう。
朝日新聞広報部からは、
「吉田氏が〝第二原発への撤退”ではなく、〝高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機”を命令したことは記事で示した通りです」
という回答が寄せられてきた。さらに回答には、
「本回答にもかかわらず、事実と異なる記事を掲載して、当社の名誉・信用を傷つけた場合、断固たる措置を取らざるを得ないことを申し添えます」
という文言もつけ加えられていた。泉下の吉田氏が、この朝日新聞の言葉を聞いたらどう思うだろうか。
「吉田さんでなければあの事態を救えなかった」
「吉田さんとなら一緒に死ねると思った」
汚染された原子炉建屋に突入を繰り返した部下たちは私の取材にそう語った。そして吉田氏は部下たちのことを私にこう述べている。
「門田さん、私はただのおっさんですよ。現場の連中が、あの放射能の中を、黙々と作業をやってくれたんだ。そんな危ないところを何度も往復する。それを淡々とやってくれた。彼らがいたからこそ、何とかできたと思う。私は単に、そこで指揮を執っていただけのおっさんです。だから、彼ら現場のことだけは、きちんと書いて欲しいんですよ」
吉田氏は、あのまま行けば、事故の規模は「チェルノブイリの十倍になっていただろう」とも語った。そんな最悪の事態を必死で止めた人々を、世界中から嘲笑されるような存在に貶める目的は一体、何だろうか。
「記者は訓練によって事実を冷徹に受け止め、イデオロギーを排する視線を持たなければならない」
それは、新聞記者のあり方を問うジャーナリストとしての基本でもある。ありのままの「事実」を報じるのではなく、自分の「主張」にのみ固執する報道――私は日本人の一人として、そういう朝日新聞のあり方がどうしても理解できないのである。(完)
◆門田隆将(かどた・りゅうしょう)/1958(昭和33)年、高知県生まれ。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)、『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館)、『記者たちは海へ向かった 津波と放射能と福島民友新聞』(角川書店)がある。