「日本グラビア史上の最高傑作」──まだヘアヌードが解禁されていない1973年、豊満な肢体のヘアの部分を赤い林檎でそっと隠した写真は「林檎ヌード」と呼ばれ一世を風靡した。まったくの無名だった18歳の美女・麻田奈美が初々しい表情で肢体を見せた衝撃から40年余り。撮影当時の思い出を写真家・青柳陽一氏が振り返る。
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1972年9月、よく一緒に仕事をしていたメークアーティストの紹介で、彼女は母親に連れられて、当時原宿にあった私の事務所にやってきた。母親から「この子は猫としか遊ばないし、外に出るのも嫌うので、何とかモデルとして撮ってもらい、前向きになって欲しいのです」とお願いされた。
高校を卒業したばかりの18歳。一見、どこにでもいるような女の子で、身長154センチと小柄だが、頭は小さく、脚の長さは抜群。
母親に声をかけられて脱いだ瞬間、「これはすごい」と唸るほどの逸材だった。胸はアンデスのようにそびえ立ち、乳首の色もフラミンゴ色で、処女そのものだった。
初めて男の前で裸──動きが悪いのは当然である。上半身脱いだままでドンドン撮っていくうちに、次第に違和感がなくなった。「かわいい、胸がきれいだ、何も問題ないよ」という私の言葉に乗せられて、不安そうな表情も影をひそめていったが、私の言葉は真実を話しているだけだった。
「麻田奈美」と名付けた私を彼女は“パパのようだ”と慕ってくれたし、私もまた父親のように、彼女を見つめ続けてきたのである。
※週刊ポスト2014年9月19・26日号