従軍慰安婦問題は、別の目的を達成したい団体などの思惑が交差したことによって基本的な構図から外れてしまった。混乱と逸脱には、朝日新聞による虚偽の記事も大きな影響を及ぼした。元朝日新聞ソウル特派員のジャーナリスト・前川惠司氏は、解決へ向けて、朝日新聞がどのように責任をとってゆくのか読者は注視していると指摘している。
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1965年、無償・有償合わせて5億ドルで「完全かつ最終的に」終わった植民地支配への清算とともに、日韓は国交正常化した。従軍慰安婦問題は、その土台を守りつつ、どう知恵を出し、従軍慰安婦だったと名乗り出た韓国人のおばあさんに日本が報いるかという問題ではなかったか。
それが「日本の戦後加害責任」などという、分かったようでよく分からない言葉で日本を糾弾する支援団体やそれを受けた韓国側などの思惑が交差し、紛糾し続けているというのが、基本的な構図ではあるまいか。
8月5日の朝日新聞一面、「慰安婦問題の本質直視を」で書かれている、
〈慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたこと〉
は、いまでは日本において、誰も異議を唱えない普遍的認識ではあるが、この問題が提起された当初の基本的な視点ではなかった気がする。
そうした「女性としての尊厳」を問題とした視点であるならば、日韓だけでなく、少なくとも第二次世界大戦の参戦国が一同に考えなければならないものとして報道しなければならなかった。どの国の軍も大なり小なり女性に対してひどいことをしたことは、歴史的事実だ。たくさんの日本女性が戦時暴力の被害にあったことは、ソ連占領下の満州や朝鮮半島での出来事として、よく知られている事柄だ。
当初の視点を崩していくことは、問題を紛糾させるだけではないかと危惧してしまう。解決への道筋は、日韓という東アジアでの日本外交の基軸関係の一つを壊さないためにどうするかでしかない。女性の人権問題としての論議は別の文脈の話ではないだろうか。
いくつかの重大な手抜かりが、日韓世論の対立を先鋭化させるなどの問題を引き起こした。そのことについてきちんと責任をとるべきだろうという主張には一理がある。朝日新聞は、どのようにして責任をとるかを、読者は注視しているに違いない。
※SAPIO2014年10月号