中国共産党の最高幹部の家庭事情についてはほとんど公にされていないが、そのなかでも、つい3年ほど前まで、最高指導者だった胡錦濤・前国家主席の家族については、夫人との間に一男一女がいることだけしか知られていない。
しかし、米国に拠点を置く中国情報専門の華字ニュースサイト「多維新聞網」によると、最高指導者時代の2003年当時、胡錦濤氏は、娘の胡海清さんと、海清さんの現在の夫で、IT関連の実業家だった茅道臨氏との結婚に強く反対。それでも、海清さんはハワイで2人だけの結婚式を挙げて永住。結果的に父を捨てて、茅氏との愛を貫いたという。
海清さんと茅氏は1988年に知り合った。茅氏は35歳、海清さんは26歳。茅氏は海清さんの父親が当時チベット自治区トップ(党委書記)だった胡錦濤氏であることを知った上でも、海清さんに猛烈なアタックをかけた。頭脳明晰で、ビジネス経験も豊富、ルックスも良かった茅氏に海清さんも強く惹かれたという。
これを知った胡錦濤氏は茅氏が当時はまだベンチャー企業の経営者だったことから、2人の交際に猛反対。茅氏に「結婚を許してほしければ、実業界から引退せよ」と迫ったという。
しかし、茅氏はビジネスを止めずに、2人は愛を深めていった。チベット自治区トップ時代の胡錦濤氏は事実上の左遷状態で、「これ以上の出世は無理」と自ら悲観していた。ところが、1989年3月のチベット騒乱で、暴動を沈静化した手腕が当時の最高指導者だったトウ小平氏に高く評価され、2002年には「次期最高指導者含み」で、党政治局常務委員に異例の昇格をし、一躍、最高指導部入りした。
こうなると、いよいよ胡錦濤氏も、娘の相手が民間企業経営者であることを蔑視し、なおも強硬に実業界からの引退を要求した。
だが、茅氏は引退せず、IT産業の「新浪(sina.com)」CEO(最高経営責任者)に就任、事業を拡大していった。茅氏と海清さんは2003年に結婚を決意。茅氏も結婚のため、引退を決めたが、胡錦濤氏は前言を翻して、あくまでも2人の結婚に大反対。
茅氏は新浪の株式を売却し、当時で約6000万ドル(現在のレートで約64億円)もの売却益を得て、結婚やその後の引退のための生活資金に当て、胡錦濤氏の反対を振り切って、ハワイで結婚した。
その後、すでに11年が経つが、胡錦濤氏と海清さん夫婦が仲直りしたかどうかについて、いまだ不明のようだ。