俳優の中井貴一(53才)が浅田次郎原作の『壬生義士伝』以来、久しぶりに正統派時代劇に挑んで話題を呼んでいる。それが、映画『柘榴坂の仇討』(9月20日公開)だ。小泉今日子(48才)とW主演した『続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)を筆頭に華々しい外見の作品が多いなか、今、なぜこの作品を選んだのだろうか?
* * *
時代劇というのは、裏で支えている人が山のようにいるんです。大企業の陰にそれを支える数え切れないほどの中小の企業があるのと同じです。衣装、結髪、小道具、大道具…。もしも時代劇の撮影が1年なかったら、これら独特の技術を要求される裏方の職人さんの手が鈍ってしまう。
それに、今は京都のどこの神社仏閣でも、快くロケをさせていただいていますが、それは撮影所との信頼関係が築かれているからこそなんです。そんなこともブランクができると、不可能になってしまう。小さな炎でもいいから、時代劇の火を燃やし続けていくのが、ぼくらの使命だと思っているんです。
その上で、淡々とした暮らしの中にある日本人の心の機微というのかな、矜持というのかな、そういうものをきっちり伝える映画を作りたいと思ったんです。
《『柘榴坂の仇討』は、まさにそんな映画であり、時代に翻弄される武士と、時代は変わっても変わらずに黙々と生きる市井の人々の暮らしが丁寧に描かれる。》
作品に対するぼくのポリシーは、大きなうそはついても、小さなうそはつかない、ということに尽きますね。
歴史というのは、次の世代の者が塗り替えていくものだと思うんですね。たとえば、豊臣から徳川の時代に変わったときには、徳川から見て都合のいい歴史観に、変えられているはずなんです。
だから、史実としてはどこが正しくてどこが正しくないのか、そのあたりのうそはかまわないと思うんです。
だけど、人々がどんな気持ちで他人に接し、どんなお辞儀をしているか、どんなたたずまいで暮らしてきたか、それって今も昔も基本的には変わらないと思うんですね。だから、そういううそは、ささやかなことでも許したくない。
《中国映画への出演など、海外での仕事を通して、日本に対する見方や思いも変わったと彼は言う。》
海外に出るたびに思うことは、もっと日本の歴史を勉強しておけばよかった、ということなんです。
中国でもどこでも向こうの人が、外国人のぼくに聞きたがることは、日本の歴史なんです。それはぼくらが教科書で習った、何年に鎌倉幕府ができて、何年が明治維新でといった、そんなことではなくて、時代の変わり目や大きな出来事があったとき、人々が何を考えていたのかということ。そのたびに、ぼくはもっとロマンをもって歴史を見る視点が必要だと感じていて。時代劇に出るのは、そんな歴史を知るためでもあるんです。
それから、海外で思うのは、日本って恵まれた国だということ。そして日本人って、いつの時代でも、品格を持って常に先を見て生きてきた民族じゃなかったのかな、ということです。そうだよね、おれたちって下劣な民族じゃないよ、そういう日本人の心を思い出そうぜ、って今、思いますね。
※女性セブン2014年7月10日号