ウクライナ上空でマレーシア航空機が撃墜された事件により、世界でロシアのプーチン大統領の孤立化が進んでいる。ロシアでは絶大なる権力を持つが、そもそも彼は、どうして大統領まで上り詰めることができたのか? 落合信彦氏が解説する。
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現在、プーチンはロシア国民から絶大な支持を得ているとは言いがたい。その彼をFSB(連邦保安庁)とSVR(対外情報庁)という二大情報機関が、必死になって支えているのだ。
プーチンがそうした情報機関に支えられているのは、彼がKGB出身だからである。プーチンは1975年にKGBに入り、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)での対外諜報部勤務などを経て、最終的には東ドイツのドレスデンに駐在し中佐になったが、実際にやっていたことは新聞の政治記事を切り抜いてモスクワに送ることでしかなかった。
そのプーチンがなぜ、大統領にまで上り詰めたのか。プーチンはKGB退職後、サンクトベテルブルク市長のサプチャークのもとで国際関係担当顧問となり、ソ連崩壊の際には西側からの食糧と天然資源の交換などを独断で推し進めた。彼は「灰色の枢機卿」と呼ばれるほどきわどい手法で力を得ていったが、うまく司法の手をかいくぐりながら、後はとんとん拍子で首相までのし上がった。
彼がいよいよ大統領の座を射止めたのは、KGB以来の情報機関人脈を通じ、前大統領エリツィンの「弱み」を握っていたからだ。エリツィンは大統領退任の際(1999年)、西欧から入ってくる援助費やカネをすべて貯め込んでいた。
そこで首相だったプーチンはエリツィンと面会し、「退任後に訴追はしない」という一筆を認め、エリツィン一派の支持を取り付けた。そうして臨時大統領を経て、翌年、正式に大統領に就任するのである。
それ以降、プーチンは情報機関を通じて、独裁体制を強化していく。FSBは各議員のプライベートの生活をすべて把握している。あらゆる政治家の弱みを握ることが、国内のプーチン独裁の礎となっているのだ。対外的にも、KGB時代から続くロシアのカウンターインテリジェンスの力が、プーチンを支えてきた。
※SAPIO2014年10月号