『週刊ポスト』の連載として好評を博した編集者・松田哲夫氏の「ニッポン元気印時代」が、この度、新たに再編集され単行本『縁もたけなわ』として上梓された。この本では約半世紀にも及ぶ松田氏の編集者人生で出会った人々の横顔が綴られているが、その刊行を記念して、美学校時代からの盟友であり、この本のために70点もの挿画を描いた南伸坊氏と熱く語った。
松田:学生の頃から南くんは絵も文もうまくて、今だから言えるけど、赤瀬川さんと器用貧乏にならなければいいね、なんて心配していたんだよ。
南:えっ、そうなの? 考現学の調査、おもしろかったなァ。北十間川っていう、いまは逆さスカイツリーで有名になった川に流れるゴミを観察していたら、最後に胎児が流れてきてびっくり仰天。
松田:ああ、あったあった。ちょうどつげ義春さんが「山椒魚」という、どぶ川に胎児が流れてくる漫画を発表した直後だったから、本当にそんなことがあるんだって驚いた。ほかにも南くんが住まいの団地のとなりの棟を観察したヒッチコックの「裏窓」風のレポートもすばらしかった。
南:胎児のほうは、すぐにおまわりさんやパトカーまで出てきて大騒ぎでしたね。その後は松田くんが筑摩書房の正社員になって、僕の方は青林堂の社員になってた澤井くんて美学校時代の同級生の関係でガロに出入りするようになった。
松田:その当時、筑摩でデザイナーを募集するっていうから、これは是非とも南くんに入ってもらおうと書類選考にはじまって試験、実技と三回もあれこれ画策したんだけど、結局だめだった。
南:僕は試験には必ず落ちるんですよ(笑い)。松田くんにはいろいろお世話になったけど、結局、筑摩と僕は縁がなかったんじゃない? それで実技試験に提出したパネルをガロ編集部に置いといたらそれを青林堂の長井勝一さんが見て、ウチにこいよって声かけてくれたんです。結果的にものすごく運が良かったって思ってますよ。
松田:僕は僕で、声をかけておきながら結果的に落ちてしまって悪いことしたなあと、ずっと気にしてたんだけど……。
●松田哲夫(まつだ・てつお):編集者、書評家。1947年10月東京生まれ。
●南伸坊(みなみ・しんぼう):イラストレーター、装丁家。1947年6月東京生まれ。
※週刊ポスト2014年10月3日号