2018年度にも店の看板を消滅させる――。いまやイオングループの手中に落ちるダイエーにとって、いつブランドの統合や業態転換を迫られても不思議はなかった。
だが、流通業界の革命児、故・中内功氏が築いた“ダイエー帝国”の軌跡を知る人や、「よい品をどんどん安く」の店舗スタイルに長年お世話になってきた消費者にしてみれば、一抹の寂しさも抱くイオンの発表だったに違いない。
「営業赤字の続くダイエーの再建は喫緊の課題。このままダラダラと黒字転換できなければイオングループ全体の足を引っ張ることにもなりかねない。屋号がなくなるとか感傷に浸っている余裕はないはず」
業界関係者はイオンの焦りをこう推察する。そもそもダイエーは2004年に業績悪化を受けて産業再生機構入りし、2006年より筆頭株主の丸紅のもとで再建計画を進めてきたが、一向に収益改善には結びつかなかった。そして、2013年8月にイオンがダイエーを連結子会社化した後も2期連続の赤字だった。
2004年から回復軌道が描けないダイエーの不振は「空白の10年」と呼ばれている。なぜダイエーだけが瀕死の状態になってしまったのか。流通アナリストでプリモリサーチジャパン代表の鈴木孝之氏が解説する。
「ダイエーはバブル期に土地を次々と購入して店を建て、含み益を狙うビジネスモデルで成長してきました。しかし、すべては銀行からの借入金によって事業を拡大させてきたため、バブル崩壊とともに3兆円にものぼる空前の負債を抱えるハメになってしまいました。
会社更生法を適用すれば債権放棄で復活の道も開けたのですが、ただでさえ不良債権処理に苦しむ金融機関に与えるダメージが大きすぎるということで機構入りになりました。
機構がしたことは、借金減らしのために好立地を次々と売り払い、家賃を支払うリースバック方式で店舗継続させたこと。借金こそ減りましたが、利益が出ても莫大な家賃が経営体力を弱らせる悪循環に陥ったのです」
借金漬けで身動きが取れない期間が長かったために、店舗改革も思うように進まなかったという。鈴木氏が続ける。
「総合スーパーの業態は1990年代半ばあたりから売り上げが落ち込んでいました。その理由はユニクロやしまむらといった専門店に客が流れていったからです。ダイエーは負債の整理・削減ばかりに気を取られ、そうした小売りの主役業態の変化についていけず、“何でも売っているけど、(欲しいものは)何もない”と揶揄されるまでになってしまいました」