かつて中学3年生だった頃の自分がよみがえる、大阪を舞台に今日を懸命に生きる少年少女の心情を愛情を込めて描き出す『エヴリシング・フロウズ』(文藝春秋)。
芥川賞作家である著者の津村記久子さん(36才)は同作で、高校受験を前にした中学生ヒロシと仲間たちの、揺れる思いと日常を描いた。
「本を書き上げて『やり残したことがない』と思えることはなかなかないんですけど、この本はやり残しがない」、そう言い切れる会心作だ。
大人が読んでも、そうそう、こんな気持ちでどうにか毎日を過ごしていた、と遠い記憶がよみがえってくる。なぜ中学3年生を?と聞くと、「とにかく忙しかったから」という答えが返ってきた。
「学校から帰って、塾も行って。自分でも二度といややと思う忙しさでした。時間もない、お金もない、自分ができることもそれほどない、制限ばかりのなかで、主人公はどれぐらいベストをつくせるのか、ということを書いてみたくて」
小さく、狭く見える中学生の世界にも事件は起きる。ねたみから、悪意ある噂が流されたり、突然暴力をふるわれることだってある。
「大人社会の縮図やと思うんですけど、ねたみをむき出しにしたりするんは、やっぱり子供ならではですね。中学生やったときのことは、いちいち思い出すんやなくてずっと覚えているので、自然に出てきます。執念深いんです(笑い)」
最初のページに挿まれた地図にもあるように、小説にはIKEAやめがね橋が出てきて、舞台のモデルは大阪市大正区である。会社勤めと作家の二足のわらじをはいていた2011年頃、仕事が終わってから自転車で走りに来ていたというだけあって、風景や距離感覚がリアルだ。
友達や、まだ友達ともいえない間柄の同級生の危機には敢然と立ち上がれるのに、母と離婚して別々に暮らす父の死には、ヒロシはごく淡い反応しか示さない。
「私自身の父との関係を反映してるんかな。いかに父親が、この子に何も教えなかったか、ってことです。意志は誰かに持たされるものじゃなく、自分の心の内からしかやってこない、というのがここ何年かで私が思うようになったことなんです」
ちなみに、作中に出てくる夜更かしでテレビ好きの祖母、ヒロシに買い物を頼むやさしい祖父のモデルも、津村さん自身の祖父祖母だそう。
勉強が苦手で、背が伸びないと悩むヒロシはどこにでもいそうな中学生だが、理解できない相手を自分の尺度で測らない。わかった気にならない。漂ったまま放っておける、度量の広さを持っている。
「それはヒロシに欠けたものが多いから。何もできない自覚があるので、人にこうあらねばと要求しない。だからこそ、自分のことでは悩んでも、他人は他人って、オープンに考えられるんだと思います」
(取材・文/佐久間文子)
※女性セブン2014年7月10日号