ボツイチ…。60代以上の女性の間で広がりつつあるこの言葉をご存じだろうか。漢字で書いたら“没一”で、「夫に先立たれた経験が1回ある」という意味だ。“バツイチ”という言葉は離婚経験者の肩身の狭さをぬぐいさった感があるが、果たして“ボツイチ”は未亡人の何を変えるのだろう。栃木県に住む藤堂美代子さん(64才)に、その暮らしぶりと胸の内を聞いてみた。
藤堂さんの夫(享年57)は急に体調が悪くなり、病院で検査を受けたら末期の胃がん。3か月後には帰らぬ人になった。藤堂さんは10年前の別れを話すと、今も涙がにじむ。
「ものすごく元気だった人が、日を追うごとに悪化して、最後は食べるものも口に入らず、言葉を発することもできない。 そんな夫を見ているのは、身を裂かれるような苦しみでした」
だから、医師の「ご臨終です」を聞いた時は、これで夫は苦しみから、そして自分は看病から解放されるとホッとした。
「でも、その後、襲ってきた悲しみは、ちょっと言葉では言えません。あの人の時計を見ると手の形を思い出し、車に乗ると運転していた姿を思い出しては、泣いてばかり。近所の人から向けられる哀れみの目もつらくて…」
結婚して30年。専業主婦の藤堂さんの趣味は料理と読書だったが、夫が亡くなったら、本が開けなくなった。「死」「がん」「老後」「独り」という言葉が目に飛び込んでくるから。ただ家に閉じこもって、朝から晩まで仏壇の前に座るだけ。結婚して別居している娘(当時25才)が来ればグチばかり。そんな母に娘がすすめたのがランニングだった。
「母の日にランニングウエアをプレゼントしてくれたんですよ」
とにかく着て見せてとせがまれ、鏡の前に立った。ランニングなんて高校時代の体育の授業が最後。スポーティーで活動的な服を着て走る自分がイメージできない。
「わーっ。似合うよ。ちょっとだけでいいからいっしょに走ろうよ」と娘におだてられ、夜の公園へ行ってはみたものの…。
「私を盛り立てようと必死な娘に対する義理ですよ。走る気なんかありませんでした」
それでも“あのベンチまで行こう”“あの木まで、もうちょっと”と、娘のいう目標を目指して、足を前に出した。
「すぐに息が苦しくなって、もうダメだと思うんだけど、暗い道で、娘に置いてきぼりされたら大変。行くしかないでしょ。あのときは10分くらいしか走らなかったけど、汗が止めどもなく流れて。でもすごく気持ちよかったんです」
ランニングが性に合ったのだろう。気が滅入る夕方になると、ウエアを着て河川敷のコースに出て走った。日に日に走行距離も延びていった。
そして、インターネットを通じて、ランニングのコミュニティーにも参加するようになったのは夫の没後5年目のこと。
「今、月に1度、ランニング仲間と皇居に走りに行くんです。前日から東京に泊まるから、それなりにオシャレをして行きます。ランニングのあとの飲み会も楽しみ。ランニングをしていると、心に羽がついたみたいに軽くなるんですよねぇ」
最近は30代から40代のランニング仲間からは、「50代に見える。スタイルがいい」と褒められるそう。
「私の外出を喜ばなかった夫が生きていたら、この楽しみはなかったの。それだけは確かね」と、藤堂さんは背筋を伸ばした。
※女性セブン2014年10月16日号