全61冊、1万2000ページに及ぶ昭和天皇の生涯を記録した『昭和天皇実録』の編纂作業が始まったのは1990年4月のこと。編纂を担った宮内庁書陵部職員の悪戦苦闘は実に四半世紀近く、24年5か月に及んだ。
「私たちが書くのは昭和史ではない。昭和天皇の生涯の言動を確実な記録・文書を基に叙述することに徹しよう」
1990年4月、宮内庁書陵部に集まった職員たちを前にこう訓示したのが、当時、書陵部編修課長だった米田雄介氏(神戸女子大学名誉教授)である。
当初は書陵部の職員5人のほか、外部から招いた研究者ら計25人が編纂作業に当たった。そこでは編修方針を巡っての議論も交わされたという。
「歴史的功績に触れた『明治天皇紀』のようなものをつくろうという意見もあったが、役所の一組織が歴史を評価するべきではない。むしろ歴史は『実録』を読んだ人が書くもので、我々はその根拠となるものをつくるべきとの思いが私にはあった。議論した結果、皆が納得してスタートを切ることができた」
その後は「確実な資料」の収集が困難を極めたという。特に、昭和天皇が戦前戦後を通じて盛んに行なった行幸は沖縄を除く全国46都道府県に及ぶ。各地に残る資料を網羅し取材する必要があった。
「まず県庁などに行幸に関する資料はどんなものがあるかを訊ね、実際に行き、昭和天皇と会った方々を教えてもらい、その人たちから話を聞いた。1人の職員が出張から帰ってくると、持ち帰りきれなかった資料がダンボール数箱になって後から届くことがよくあった。そのように国内外を行脚して集めた資料が編纂には大変役立った」
政府の公文書のほか、『入江相政日記』や『徳川義寛終戦日記』といった侍従の日記などの私文書も活用。収集した資料は3000件を超えた。
※SAPIO2014年11月号