2013年は世界的に火山活動が活発化し、83の火山の噴火が記録された。日本周辺では小笠原で海底火山の噴火で新たな「西之島」ができ、カムチャツカ半島でも火山活動が活発化している。プレート境界上にある島国・日本は、「予算を増やして将来的に予知の精度を高めていく」などと悠長なことをいっている場合ではない。
歴史的に見ても、火山の大噴火はこの国に大惨事をもたらしてきた。
1707年の富士山の宝永大噴火では数十日前から地震が多発し、12月に南東山腹で噴煙が上がった。黒煙とともに噴石が降り注ぎ、その日のうちに江戸にも大量の火山灰が降り注いだ。川崎では5センチの降灰。家屋や農地が灰で埋まった村では餓死者が相次ぎ、噴火が沈静化した後も土砂災害が相次いだ。
1783年、浅間山の天明大噴火では5月から8月まで断続的に噴火が続いた。江戸でも障子が揺れ、灰が降り注ぐのが日常となり、火砕流や土石流が吾妻川をせき止め、その後に決壊。利根川でも洪水が起きて流域の村々を押し流した。そのわずか9年後の雲仙岳大噴火(1792年)では地震とともに眉山が大崩壊を起こして有明海に流れ込み、対岸の天草、熊本に津波が押し寄せて1万5000人が死亡したとされる。
もっと遡れば、鹿児島沖の鬼界カルデラ(摩硫黄島付近)を作った7300年前の大噴火では、西日本の縄文文明が滅んだといわれる。最も古い屋久杉が樹齢4000年程度とされるのは、それ以前の植物はこの噴火で全部焼けたからだと考えられている。
今回噴火した御嶽山(おんたけさん)は山岳信仰の山として知られるが、そうした信仰が生まれた背景には古来、日本に根付いてきた厳しい自然への畏怖がある。
自然災害である噴火を正確に「予知」することなどできない。それを前提にした上で、どのような危険が身に迫っているかの知識を身につけ、一人ひとりがその危険にどう向き合い、備えるべきか考えていくことが重要だ。
※週刊ポスト2014年10月17日号