読売巨人軍が9年連続日本一という黄金時代を築いたとき、巨人が長く抱えていた悩みが、王貞治、長嶋茂雄の次に打席に立つ5番打者を固定することだった。川上哲治監督は柴田勲や黒江透修の打順を組み替えたり、補強選手を据えたりと試みたが、最終的に定着したのは1968年のこと。白羽の矢が立ったのは、この年台頭してきた若きスラッガー・末次利光氏だった。
末次氏は入団4年目の1968年に5番・ライトのポジションに定着。1971年には初の3割超え(.311)を果たしてV7に貢献し、同年の日本シリーズMVPにも輝いて「史上最強の5番打者」の称号を得る。「世界の本塁打王」、「ミスタープロ野球」とクリーンアップを組む重圧を末次氏が語った。
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巨人戦の場合、相手はローテーションを無視してエース級をぶつけてきます。よく「巨人で打つ2割8分は他なら3割に匹敵する」なんていわれましたが、その通りだと思う。毎試合、各球団のエースが相手なんですから。
それにもちろん気合いが入っている。特に中日の星野(仙一)は凄かったですね。ONにホームランを打たれると、キャッチャーの木俣(達彦)が、打席に入る僕にボソッと声をかけてきたものです。
「末次さんスミマセン。一発、“上”に行きますから」
するとバックネットに、ものすごい暴投が来る。相当悔しいんでしょう。当てられなかっただけマシですけどね(笑い)。
その半面、多くの投手は僕に甘い球を投げることも多かった。ONに全精力をつぎ込んで気が抜けていたんでしょうね。ONの後を打つ役得というのはこの点でしたね(笑い)。
ONをランナーに置いてタイムリーを打てば大歓声。ホームランでも打てばその歓声を浴びながらダイヤモンドを一周し、ホームで待つONとハイタッチする。他の球団ではこんな体験はできない。苦しみも半端じゃなかったけど、その分喜びも大きかったですね。
※週刊ポスト2014年10月24日号