10月1日、京の都の「極楽浄土」、平等院鳳凰堂が2年間にわたる大修復をすべて終え、落成式を迎えた。
1052年、平安の世に生まれた平等院鳳凰堂──歴史を辿れば、栄華を極めた関白・藤原道長の別邸が始まりだった。同じころ、都は末法思想の蔓延で治安が乱れ、疫病が大流行するなど不安と不満が支配していた。人々は辛い現世を受け止める一方で、死後の「極楽浄土」に憧れた。
道長の子・頼通は、父の別邸を仏寺に改め、最高の建築技術と美術、工芸の粋を結集して「極楽浄土」の宮殿を建立、当時最高の仏師・定朝の手による阿弥陀如来坐像を安置した。平等院の神居文彰住職が語る。
「前回の修復から56年、創建当時の姿に復元することを目指し、鳳凰堂は平成の世に生まれ変わりました」
建物外観は深い赤褐色の「丹土色(につちいろ)」に塗り替えられ、青銅色の鳳凰像や露盤宝珠には金箔が施された。緑青色の連子と漆喰の白、そして、古代瓦の鈍色が絶妙に調和した平安美の極致が平成の世に出現した。白洲次郎、白洲正子の孫で日本文化に造詣の深い白洲信哉氏が語る。
「朝日山から昇った日の光がお堂を照らし、そのお堂の裏に日が沈む。自然の演出に敵う美はありません」
宇治を訪れる観光客の85%を集める鳳凰堂が今年の4月までの1年半内部拝観を中断したため、年間観光客は100万人以上減少した。それだけに紅葉の時期にはかつてない人出が見込まれている。
「通常の作業であれば、この3倍以上の時間がかかったはずです。大幅に短縮できたのは、それ以前の10年に及ぶ調査や実験、試行錯誤と入念な準備の積み重ねの賜物です」(神居住職)
2012年に始まった修復工事は、2年の歳月をかけて9月末の尾廊の覆いの撤去ですべて終了した。鳳凰堂1000年の歴史で初めて建物全体を素屋根で覆うなど、短期間で修復を終えるためのプロジェクトが綿密に進められた。
事前に行なった調査は修復に活かされた。創建当時、柱などの塗装に酸化鉄が使われていたことが判明したため、同じ素材の色鮮やかな赤を塗って鳳凰堂は蘇った。
また、屋根瓦は全面葺き替えとなり、下ろした瓦は5万2049枚。そのうちの1560枚は創建当初の平等院特注瓦の「河内向山系瓦」(かわちむかいやまけいがわら)とわかったため、今回はこの瓦を復元し「燻」(いぶし)を使わず古色に仕上げて使うことになった。
平等院の象徴といえる鳳凰像は、科学的な分析の結果、3つの異なる青銅技術で作られていたこと、鍍金が施されていたことが判明。こちらも忠実に再現され、劣化が進んでいた青銅色から黄金色の輝きを取り戻した。
撮影■森川昇
※週刊ポスト2014年10月24日号