流通ジャーナリスト金子哲雄さんの妻であり、『金子哲雄の妻の生き方 夫を看取った500日』(小学館文庫)の著書がある金子稚子(わかこ)さん。夫を看取って2年――今、思うことを語った。
「金子が死んでしまう病気だと伝えた途端、ほとんどの人が口をつぐみました。顔色を変えて『大変でしょう!』ともいわれました」(稚子さん、以下「」同)
2011年6月、夫の金子さんは死の病を宣告されて、2012年10月に自宅で亡くなる当日まで仕事を続けるという道を選んだ。
稚子さんはその金子さんと“併走”しながら、人々が金子さんと今までと同じように接することができないのを目の当たりにする。
「普通の人の考える死は、怖い、つらいと、ネガティブ一辺倒。死んでいく人として線を引き、差別ではないけど区別していると感じました。『お別れを言いたい』『ひと目会いたくて』って、ぼく、今まだ生きていますけどって金子は笑っていましたが。
『私にはわからないから』『大変でしょうね』と、遠ざけることで死に向かう人や、その人に寄り添っている人は、孤立してしまうんですね。
『お菓子を持って言って最後に食べさせたい』といってくださるかたは多くても、『おいしいね』と一緒に食べてくださるかたは少ない。仕方のないことなんですが。死についての情報があまりにもなくて、未知の世界だからなんですね」
金子さんの死後、稚子さんと会った人々は、自分が亡くした家族や大切な人のことを、堰を切ったように話し始めた。
「話しながら私の手を握って涙したり、十数年も前に亡くした夫への思いや悲しみが生々しくあふれ出たかたもいました。ずっと話す場や相手がいなかったと…。
死の悲しみを共有や共感するのが難しいのだと思います。金子は死にまつわることを線を引いて遠ざけている人とは、うまく話せなかったようでした。死はある意味で忌み嫌われること、そして到底、理解されないことだから。
私も、初め金子が死に直面したとき言い放った『死にたくない』という気持ちを受け止められませんでした」
「死んだらどうなるのかな」
金子さんはその問いを、稚子さんに何度も何度も投げかけた。
「私は黙って金子の背中をさするしかありませんでした」
夫が「死にたくない」と言ったら、多くの妻は「そんなこと言わないで」とうろたえるかもしれない。「もっと頑張って」とはげましてしまうかもしれない。
「でもそれは、大切な人との間に決定的な線を引いてしまうこと。あなたと私は違うと縁を切ってしまうことなんです。
私も一度だけ、『死なないで』と言いました。病気がわかった直後に行った忘れもしない大阪のがんこ寿司でした。
金子は私の手を握って『当たり前だ、必ず稚ちゃんを守るよ』と言ってくれた。病気と闘うのは金子なのに、私は自分の悲しみを投げつけてしまった。金子の笑顔を見て、二度と言うまいと誓いました」
「死なないで」「頑張って」「この治療を受けなさい」「頑張って食べなさい」…これらは皆、稚子さんが言わないようにした言葉だ。
「金子がお見舞いにいらしたかたにしきりに“あきらめないで頑張って”と言われて、あとで“これ以上頑張れないんだよ”と元気をなくしていたことがありました。
頑張らなくてはならない段階もあるけれど、“本当に食べられないんだよ”という本人の声をキャッチしてあげたほうがいい段階もあると思うのです」
※女性セブン2014年10月23・30日号