【書評】『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』辻田真佐憲著/幻冬舎新書/840円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
弱冠三十歳にして、軍歌歴二十年、という奇特な若者の本である。ミリタリー趣味が嵩じて、というのは予想通りだが、戦史やメカに向かわずに、軍歌というのが珍種ではないか。軍歌のウェブサイトも運営しているが、ドライな、醒めた視点で軍歌を取り扱っていて、それゆえ見晴らしがいい。
「軍歌は日本史上最大のエンタメだった」というのが、著者の宣言である。血なまぐさい軍歌とエンタメという娯楽産業が、どうして結びつくのか、とびっくりする。しかし、軍歌の歴史を仔細にたどっていくと、納得、ということになる。
帝国大学や音楽学校のエラい人が手がけた初期の軍歌が、日清戦争を契機に、民衆の手に渡っていく。ニュースとしての軍歌が歌われ、人々は苛烈な戦場を疑似体験して、感動に酔う。英雄や軍神がキャラクターとして消費される。明治天皇も広島の大本営で軍歌を作詞する。
日露戦争の旅順開城では、佐佐木信綱が作詞した「水師営の会見」が今でも有名だが、軍医として出征中の森鴎外は、なかなか落ちない旅順要塞を「箱入娘」に見立てた戯れ歌軍歌を作った。メロディは「雪の進軍」を借りて。
著者が次々と繰り出す豊富なエピソードをつないでいくと、軍歌という小さな窓から覗いた近代日本の民衆の表情が見えてくる。大正デモクラシー期の雌伏の時代を経て、SPレコードとラジオの台頭による第二次軍歌ブームがやってくる。ミリオンセラーとなった「愛国行進曲」という「第二の国歌」も生まれる。当局と企業と民衆のどれもが喜ぶ「利益共同体」ができあがる。それも束の間の夢で、戦局がきびしくなってくれば、もうエンタメという範疇ではくくれなくなる。
本書は軍歌の終焉では終わらない。北朝鮮や中国に痕跡を残す日本の軍歌を探したり、自衛隊歌に旧軍の軍歌との断絶を感受したり。日本青年館の軍歌軍装イベントで、日の丸の小旗がゴミ袋に捨てられる光景も見逃していない。
※週刊ポスト2014年10月31日号