もうすぐ2014年プロ野球の日本一球団が決まる。今では夫人の家業である製菓会社「亀谷万年堂」の取締役会長として忙しい日々を送る国松彰氏(80)は、1965年から始まる読売巨人軍の9年連続日本一の初期を主に2番打者として、後半はコーチとして支えた。川上哲治監督の徹底したチーム管理と、それによって培われた巨人軍の強さについて国松氏が振り返った。
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日本シリーズ中に、土砂降りの中で練習させられたこともあります。期間中、チームは(後楽園球場に近い)御茶ノ水の旅館に泊まり込んでいたんですが、大雨になって試合が中止になったんです。
当時は室内練習場もないので当然休みだと思っていると、選手全員がバスに詰め込まれて多摩川へ。打席とマウンドだけにテントを建てて、グチャグチャのグラウンドの中で練習ですよ。ボールはすぐに泥だらけになるので、洗っては焚き火で乾かして使う。そんな状態だから、打撃練習でも1人10球打つので精一杯でした。
文字通り休みなしの練習が続きましたから、反発の声は上がりました。例えば広岡(達朗)さん。「疲れているのに、コンディションが悪くなるだけで意味がない」と文句をいっていました。口には出さないまでも、僕も冗談じゃないと思っていましたね。
でもこれは技術の向上というよりも、勝つためにチームが団結して決して手を抜かないことが大切だ、という意識を浸透させるためだったんです。川上さん自身も疲れていたはずなのに、心を鬼にして練習を課していたのでしょうね。川上さんが偉いのはそういうところ。選手たちにだけでなく、自分にも妥協しなかったことです。
※週刊ポスト2014年10月31日号