「笑うと目がなくなるからダメです」といいながら、カメラに向かって満面の笑みを浮かべた逸ノ城(21=湊部屋)。100年ぶりの「新入幕優勝」とはいかなかったが、192cm、199kgの巨体にザンバラ髪で日本中の相撲ファンを熱狂させ、九州場所では昭和以降初となる新入幕翌場所での関脇昇進となった。
しかし、“平成の怪物”も人の子、帯状疱疹を発病して秋巡業は途中休場。湊親方が「注目度の高さから来る精神的ストレスが原因」と語るように、素顔はモンゴルの大平原で育った朴訥な青年だった。
好きな食べ物を聞けば、間髪入れずに「唐揚げ」。嫌いな食べ物は、親方の顔を横目で見ながら「カレーライスと野菜が苦手」と遠慮がちに答える。鳥取城北高での3年間の相撲留学で、日本語はもちろん、日本の文化や食に通じた。
「両親は心配していましたが、食べ物にはすぐ慣れました。苦手な納豆も食べられるようになった。日本食に慣れ過ぎて、高校時代に帰国したら、モンゴル料理の脂っこい肉でお腹を壊しました(笑い)」
これまでにモンゴル力士は55人いるが、遊牧民出身は逸ノ城が初めて。移動式のゲル(テント)で暮らし、家畜を追った幼少時代。初のモンゴル人力士・元旭鷲山は、「いまはみんな都会出身。モンゴル人のルーツである遊牧民の暮らしを知っている者はいない」という。
「冬は氷点下30度。耳も凍った。妹が洗濯、弟はゲルの掃除。自分は400頭以上いる家畜の世話や水汲み、火をおこすのに使う丸太を運ぶ手伝いをした。500m離れた川から10リットルのバケツ2個を運ぶのが日課だった。暇があれば草原で友達とモンゴル相撲をとっていたし、仔馬なら軽く投げ飛ばしていました」
厳しい生活環境が肉体と精神を鍛えてくれた。もちろん馬にも乗ったというが、「今は無理無理。この体重じゃ(馬が)パンクしてしまう。馬にも体重制限があるでしょう。馬が可愛そう」と、かわりに自転車に乗る姿を披露してくれた。
「外出はいつも自転車です。高校卒業後、地元鳥取では、自宅から職場の体育協会までの片道5kmをトレーニングのために自転車で通っていました」
取り組み同様、巨体にもかかわらず意外なほど器用に自転車を乗りこなす。器用といえば、手形を押した色紙に毛筆で漢字のサインをスラスラ書くのもお手のもの。
「かなり練習したからバッチリです。難しい“逸”や“城”の字も、もう慣れました」
◆逸ノ城駿(いちのじょう・たかし):1993年4月7日生まれ。モンゴル・アルハンガイ出身。2010年、鳥取城北高に相撲留学。卒業後に実業団横綱となり、2014年1月場所で外国人初の幕下付出デビューを果たす。初土俵から4場所での新入幕は史上2位タイ。
撮影■太田真三 取材・文■鵜飼克郎
※週刊ポスト2014年11月7日号