小渕優子経済産業相と松島みどり法相が辞任した。閣僚の相次ぐ辞任・交代劇が崩壊の引き金になった2006~2007年の第一次安倍晋三政権を思い出させる局面だ。
今回の辞任劇が、高い内閣支持率を背景に順風満帆だった安倍政権にとって初めての正念場である。女性の活躍を後押しするのは改造内閣の柱の一つだっただけに、わずか1か月半で2人の辞任を余儀なくさせられたのは、女性登用が完全に裏目に出た形だ。
そう評価したうえで、いくつか教訓を考えたい。第1は「女性だからといって特別視される時代は終わった」。
政治資金をめぐる小渕のスキャンダルは「女性だからカネにクリーンで、汚いことはしないだろう」という通念を見事に裏切った。それどころか、自分の政治資金について「私も疑問がある」と語る姿は、まるで「何も知らないお姫様」のようだった。
入閣したとき、自民党内の男性議員からは「女性だから優遇されている」という声が出た。「女性優遇プレミアム」があったのは間違いない。だが、それはもう通用しない。多くの有権者はこれから女性議員に対しても「本当に実力があるのか」と冷めた目で見るようになる。
女性も地金で勝負する。それはいいことだ。女性だからといってチヤホヤされて、いい気になっていられない。永田町に限らず、働く女性はこれをピンチでなく、チャンスととらえるべきだ。
次に、指摘したいのはマスコミ報道である。小渕の辞任観測が流れ始めたとき、ほとんどの新聞やテレビは判で押したように「女性初の首相候補」という枕詞をつけた。ある番組で隣になったタレントから「長谷川さん、小渕さんが首相候補って本当ですか」と聞かれたほどだ。
私は「だから新聞はダメなんですよ」と答えた。はっきり言って、小渕が首相候補だなんて普通の人はだれも思っていなかっただろう。そんな噂というか評判を流していたのは、政治家とマスコミの永田町業界だけだ。
だが、たとえば経産省の最重要課題の原発再稼働一つとっても、小渕が自分の言葉で国民に訴えたような場面があっただろうか。国会答弁や記者会見では官僚が作った原稿を棒読みするだけだった。それで将来の首相候補とは、国民感覚からまったく遠い。
マスコミは業界話で政治家を持ち上げる癖から脱却して、国民目線で政治家をしっかり評価すべきだ。
文/長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ):東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年 新聞は生き残れるか』(講談社)
※週刊ポスト2014年11月7日号