1973年まで9年連続日本一を続けた読売巨人軍のV9時代、レギュラーはON(王貞治・長嶋茂雄)を中心にほぼ固定されていた。だが、控え選手たちも随所でいぶし銀の活躍を見せていた。なかでも左の代打要員として「V9の陰の立役者」と呼ばれた萩原康弘氏が、代打を巡るチーム内の厳しさについて振り返った。
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当時は代打で失敗したら、代わった選手のところに「すみませんでした」と謝りに行っていました。それくらい緊張感に溢れていたんです。レギュラーの選手にとっては、代打を出されるのが大きな屈辱なんです。
ある時、高田(繁)さんに代打・柳田(真宏)が出されると、高田さんはロッカーに引っ込んでしまった。呼びに行くと、ベンチ裏で泣いていました。代打を出された自分が情けなかったのでしょう。
だから満塁で代打に出されて凡退すると、「すみません」では済まない。冗談抜きでベンチに帰れなくなるんです。それはベテランでも同じでした。
例えば国松(彰)さんが満塁の場面で代打に出て、凡退してしまった時があった。その後はベンチで頭を抱えていました。責任を感じるのはもちろんだし、チームメートからも「お前は何のために代打で出たんだ」という厳しい視線が容赦なく浴びせられる。当時の巨人はそういう集団だったんです。
※週刊ポスト2014年11月7日号