京都市東山区宮川町。絵に描いたような木造家屋のしっとりした町並みが美しいこの町は、祇園甲部、先斗町、上七軒、祇園東とともに「五花街」と呼ばれる京都の花街のひとつだ。
昨年12月25日、中学3年の2学期が終わるとすぐ、14才の榊彩音さん(妓名はふく音さん。以下、ふく音さん)は故郷の千葉県松戸市を離れ、宮川町にやってきた。「舞妓さんになりたい!」という大きな夢を持って。顔にあどけなさが残る少女はその日から住み込みで舞妓修業をしている。ふく音さんの家は宮川町にある置屋「河よ志」。
置屋とは舞妓が所属するプロダクション兼、ふく音さんのような舞妓見習いや舞妓が住む家で「屋形」とも呼ばれる。お客が飲み食いして遊ぶ場所は「お茶屋」といい、そこに置屋から舞妓が派遣される仕組みになっている。各置屋にはそれぞれ女将さんがいて、置屋に住み込む舞妓たちのお母さん的存在。
河よ志は86年の歴史を持ち、現在の女将、佐々木民子さんは4代目になる。河よ志には、佐々木さんの娘である芸妓のふく恵さんとふく音さんが住んでいる。ふく音さんにとって佐々木さんは「京都のお母さん」なのだ。
「舞妓さんになるためには、15、16才から置屋に住み込んで、『仕込みさん』という修業期間に入ります。ずっと昔は『おちょぼはん』って呼ばれておりました。最近は、インターネットで屋形のHPを見て来やはったりするようになりました。
いちばん手っとり早いのは、知り合いに花街へ通うてる人がいはったら、その人に頼んで屋形を紹介してもらうことどす。そういうツテがおへんときには、直接花街の組合などに相談したら、適当な置屋さんを紹介してもらえるんどす」(佐々木さん)
ふく音さんも河よ志に住み込んだその日から「お仕込みさん」になった。もともと舞踊が好きだったというふく音さんが舞妓に憧れたのは小学生のとき。
「きっかけはテレビで舞妓さんのドキュメンタリーを見たことだったと思います。着ていたお着物がすごくきれいで、舞踊がお仕事の一部やということを知って、さらに憧れました。中学3年生の6月にあった修学旅行で宮川町に来て、舞妓さんの踊りを見させてもらって、ここで舞妓になりたい、と決めたんです」(ふく音さん)
小学5年生の時、「将来の夢」と題した作文にも「舞妓さんになりたい」と書いていたほどその思いは強く、ふく音さんが決意を固めたときに両親は応援してくれたという。昨年12月に学校の校長に「3学期の勉強は京都でします」とお願いし、学校の承諾書を持って京都に来た。
「最初に必ず三者面談をすんのどす。お父さんかお母さんかどちらかが見えて、細かい話をいろいろさせてもらいます。仕込みさんの修業がどれだけつらいかを本人にも親御さんにもしっかり説明します。途中で辞められたりしたら世間体がおすのでね。それで本人が『頑張ります』言うたらすぐ住み込んでもらいます。仕込みも舞妓も与えられる部屋の広さは同じです」(佐々木さん)
※女性セブン2014年11月13日号