【書評】『犬たちの明治維新 ポチの誕生』仁科邦男著/草思社/1600円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
犬にジョンという名をつける人は、すくなくない。レオやベスも、よく聞く犬の名前になっている。こういう命名を、英米人はどう思うのだろう。たずねたことはないので、よくわからないが、あまりいい感情はいだけないように思う。日本でくらしているジョン氏やベス嬢は、内心にわだかまりをかかえているような気もする。
日本人が英米系の名を犬につけだしたのは、幕末明治期以後の現象である。まあ、そんなことは、わざわざ言われなくても、みんななんとなく気づいていよう。しかし、ポチというよくある名も、幕末以後のそれだと聞かされれば、おどろくのではないか。
そう、じつはポチだって、舶来の犬名なのである。いや、そんなはずはない。「裏の畑でポチがなく」話は、江戸期以前からあったはずだ。と、そうあらがいたくなるむきは、ぜひこの本を読んでほしい。ポチという名が、明治期にある種のピジン英語として浮上する。その過程が、いやおうなく考証されていく様子を、たどれるから。
そもそも、江戸期以前の日本に、ひとりの飼い主が犬を自家でやしなうケースは、ほとんどない。主が自分の好みで、犬の名をきめることも、基本的にありえなかった。集落や町内で共有されるもの以外は、野良犬となる。あるいは、まれに大名家や将軍家で、かこわれる。それが、一九世紀なかばごろまでの常態だったのである。
そんな日本に、開国は新しい犬環境をもたらした。個人が飼い主となって犬を飼う。西洋流のそんなペット文化が、もちこまれている。そして、集落などが犬を飼う旧来の慣習は、駆逐されていった。犬の共有は、個人的な私有にとってかわられたのである。
この大変動がたどった筋道も、著者はていねいにおいかける。オールコックに関するエピソードも、おもしろい。西洋人が書いた日本見聞記の邦訳にひそむ誤訳の指摘は、勉強になった。西郷隆盛が犬をひきつれていたことにたいする読み解きも、説得的である。
※週刊ポスト2014年11月14日号