初の著書『バカでも資産1億円「儲け」をつかむ技術』が話題を集めている杉村太蔵氏(35才)。同書では清掃員から外資系証券マンへの転身、さらに国会議員当選、落選後のタレントデビューなど、自身の半生を振り返りながら、人生の「儲け」をつかむ技術について綴っている。彼が現在に至るまで貫いているのは「働く」ことに対するまっすぐな姿勢だ。その原点は「大学中退」にあった。
テニスで国体優勝した経験から、スポーツ推薦で筑波大学に入学した杉村氏。在学中は大学の授業よりも司法試験合格を目指して勉強に励んだ。しかし、うまくいかず、大学を中退することになってしまう。
そのとき、杉村氏は実家の北海道・旭川で歯科医を営む父親に「歯科医の仕事を手伝うよ」と相談した。するとこう言われたという。
「働かないなら死ね!」
その言葉で尻に火が付き、慌てて就職活動を始めた杉村氏だったが、当時は就職氷河期。採用試験を受けまくったが、大学中退の彼を採用してくれる企業はなかった。
「自分は社会に必要とされていないんじゃないか? そんな気持ちでいっぱいになりました」(杉村氏・以下「」内同)
杉村氏は、派遣会社数社に登録。ほどなくして「仕事があります」と電話が入る。ビル清掃員の仕事だった。
「躊躇なく引き受けました。日雇いのアルバイトで食いつないでいたので、数か月は食べていけますからね」
仕事の内容はフロアの掃除から、廊下や階段の床ふき、トイレ掃除など。時給は800円だった。仕事は大変ではなかったのだろうか?
「楽しくて本当にやりがいがあった」と杉村氏は語る。なぜか?とたずねるとこう言うのだ。
「仕事があること自体がうれしかったからです。将来何をしていいかわからない不安のなかで、やっと与えられた仕事。目の前の便器をピカピカにするという目標ができただけで、こんな自分でも誰かのために役立っていると思えました」
父親の言った「働かないなら死ね!」という言葉についてはこう振り返る。
「働いてお金を稼ぐということがどれほど大切なことなのか、父なりに伝えたかったのだと思います。父には本当に感謝しています」
その後、外資系証券マン、国会議員となり、今では、タレント、投資家、実業家と活動の幅を広げている。今でも仕事に真摯に向き合う姿勢はまったく変わっていない。それが今の彼の活躍につながっていると言える。新著について最後にこうコメントを寄せた。
「資産が1億円あるということを自慢したいわけじゃありません。ぼくのように大学を中退したり、就職活動に挫折したり、人生なんかうまくいかない、ということって誰しもあると思うんです。そんなときに、人生を前に進めるには、目の前の与えられた仕事ひとつひとつを一生懸命やることしかないとぼくは考えています。“あの杉村太蔵ができたなら自分でもやってみよう”、ぼくの経験してきたことがそう思っていただくきっかけになればありがたいですね」