強がりにしてもあまりにお粗末な釈明だった。
「対話と圧力、行動対行動の原則の下、拉致問題の解決に今後とも全力を尽くしていく」
安倍晋三首相は10月30日夜、平壌での日朝協議を終えて帰国した外務省の伊原純一・アジア大洋州局長の報告を受けた後、記者団にそういってのけた。「行動対行動」はこれまでの日朝交渉の中で繰り返し使われてきたスローガンだが、今ほど空しく聞こえる時はない。
10月27日から派遣された訪朝団の帰国報告は、「行動(制裁解除)」したのは日本だけで、北朝鮮は何もしなかったことを明らかにするものだった。
10月末の2日間の計10時間半に及ぶ協議で、北朝鮮側は「過去の調査結果にこだわらず新しい角度から調査を深める」と説明するだけで、拉致被害者の生存情報や具体的な調査結果の報告時期などを示すことは一切なかった。拉致被害者の支援活動を続ける「救う会」代表の西岡力・東京基督教大学教授が語る。
「我々は、『拉致被害者については調査しなくても金正恩は居場所も安否も知っているのだから、特別調査委員会の調査の経過などは聞くだけ無駄だ』と政府に意見していました。最初からゼロ回答とわかっているのなら行くことはないのではないか、と。しかし政府は調査委員長の徐大河に会って日本側の意思を伝えることに意義があると判断して代表団を送った」
徐大河(国家安全保衛部副部長)が出てきたことについては、官邸サイドから「すごい」とリークされ、何もわからぬ新聞やテレビがその通りに報じる状況に。結局、徐大河や4つの分科会(「拉致被害者」「行方不明者」「残留日本人・日本人配偶者」「日本人遺骨問題」)の責任者らが出席した協議では何の情報も示されず、特別調査委の庁舎を日本の報道陣に公開するなどマスコミ・サービスだけされて帰ってきた。
しかも委員長である徐大河は日本側が考えていたような「大物」ではなかった可能性がある。西岡氏が続ける。
「徐大河の軍服の肩には星が1つしかついていなかった。私が国家安全保衛部出身の脱北者に聞いたところでは、本来は部長が軍の位では大将で星4つ。ナンバー2の政治部長は上将で星3つ、その下が第一副部長で星2つとなります。第一副部長は数人いて徐大河はそのさらに下です。国家安全保衛部の大幹部のようにいわれているが、ナンバー6~10程度だったことになります」
わかりやすくいえば、日本の局長が北朝鮮の課長級に軽くあしらわれて帰ってきたというのが実態なのだ。
※週刊ポスト2014年11月21日号