【書評】『桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』長田渚左著/集英社/1800円+税
【評者】川本三郎(評論家)
一九六四年の東京オリンピックでもっとも輝いた女性選手といえばチェコの体操の名花、ベラ・チャスラフスカだろう。体操王国ソ連を圧倒して三つの金メダルを獲得。とびきり美しい女性だった。
日本で大人気となった。いまのシニア世代でこの「東京の名花」に憧れた者は多いだろう。日本人が愛した美貌の選手は、誰よりも日本を愛した選手でもあった。ベラに何度もインタヴューして書きあげられた本書は、一スポーツ選手の物語であると同時に、大国ソ連に弾圧されたチェコで権力に屈しなかった女性の抵抗の物語にもなっている。
東京オリンピックの頃、チェコは共産圏にあったが一九六八年に民主化を求める運動が起こった(「プラハの春」)。それを支持して知識人らによる「二千語宣言」が発表された。ベラも署名した。
しかし「プラハの春」は短かかった。ソ連の戦車がチェコの自由を圧殺した。その直後、メキシコでオリンピックが開かれる。出場が危ぶまれたベラだが、最悪の状況のなか出場し、四つの金メダルを獲得。床の表彰式で同点優勝だったソ連選手のために国旗が掲げられた時、ベラは目をそむけた。精一杯の抵抗だった。
ソ連軍の侵攻のあとに行なわれたオリンピックでのベラの活躍には当時、日本でも喝采が起きた。ソ連側の権力は「二千語宣言」の署名者に撤回を迫った。転向する者が少なくなかったなかベラは屈しなかった。そのため迫害を受け、一時は仕事もなくなり、スカーフで顔を隠し清掃の仕事までしていたという。胸をつかれる。
一九八九年に社会主義政権崩壊(「ビロード革命」)。ようやくベラは復活する。幸せな日々が続くが、こんどは私生活で事件が起きる。十八歳の長男が、別れたベラの夫と喧嘩になり、元夫は死んでしまう。息子は実刑判決を受ける。そのショックでベラは十年以上も精神を病んでしまう。波乱の人生だ。ベラが日本体操の遠藤幸雄らと深い交流があり、それが彼女の支えになっていたという。
※週刊ポスト2014年11月21日号