1971年に兵庫・三田(さんだ)学園から巨人に入団した淡口憲治氏といえば、打席で尻を振る独特なフォームで知られる。当時の子どもたちはこの動きをこぞって真似したものだ。シャープな打撃に定評があったが、すでに監督と選手を兼任するプレイングマネージャーとなっていた野村克也氏が率いる南海とオープン戦で対戦したとき、すでに有名だった「囁き戦術」と初めて遭遇した思い出を、淡口氏が語った。
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最初の打席で、野村(克也)さんがマスク越しに「お前か、サンガク(三田学園)から入ったのは」と話しかけてきた。「はい、そうです」と答えようとした矢先に、審判が「ストライーク」。投手がもう投げてきていました。
南海は僕のドラフトの前の年、サンガクの1年先輩の山本功児さん(※注)を狙っていたんです。結果的に山本さんは法大に進んでしまいましたが、その調査の過程で、監督兼任だった野村さんは僕のことを知っていたみたいなんです。
大先輩だし無視するわけにはいきません。すると今度は、「ええバッティングしとるらしいな」ときた。思わず「ありがとうございます」と礼をいったら、また「ストライーク」。集中しなくちゃと気を取り直して、なんとかセンター前に打ち返しました。
この“囁き戦術”はタイミングといい間といい、絶妙なんです。投手とサイン交換しながら話しかけてくるんですよ。第2打席でもやられましたが、何とか2本目のヒットを打った。すると3打席目は一言も喋ってきませんでした(笑い)。
【※注】山本功児(やまもと・こうじ)/1976年入団。巨人では主に王貞治の控えとして一塁を守る。通算.277、699安打、64本塁打。
※週刊ポスト2014年11月21日号