浅野ゆう子(54才)と交際していた俳優の田宮五郎さん(享年47)が、11月6日にくも膜下出血で亡くなった。2006年、39才という“遅咲き”で俳優としてデビューした田宮さんだが、それは偉大な亡き父を追っての芸能界入りだった。田宮さんの父親はドラマ『白い巨塔』(フジテレビ系)や『クイズタイムショック』(NET、現テレビ朝日)の司会者などで知られる名優・田宮二郎さん(享年43)。
父は田宮さんがまだ11才だった1978年12月、猟銃自殺という芸能界史に残る衝撃的な死を遂げる。そんな父が幼い頃から俳優を志していた田宮さんに遺したのが「人間を知らずにこの職業(俳優)につくものじゃない。自分は若くして俳優になったので、想像でしか役に入れなかった」という言葉だった。その遺言を守り、田宮さんは日本語教師、料理人、大工、造園業などありとあらゆる職業を経験した後に、俳優となった。
「遅咲きすぎるデビューだったため、田宮さんにはなかなか仕事が回ってきませんでした。そんな彼をサポートしたのが浅野さんだったんです。ふたりはもともと、同じ事務所に所属していて、浅野さんは独立してからも、彼のために自分の知り合いのプロデューサーに頭を下げ、自分の出演するドラマや映画に田宮さんを出演させてもらえるように頼み込んだんです」(テレビ局関係者)
2007年頃に交際をスタートさせると、自身が経営していた眼鏡店で従業員として雇うなど、公私にわたって浅野は彼をサポート。2009年には現在のマンションを2億円で購入して田宮さんとの同棲生活をスタート、真剣に結婚を考えるようになった。だが、2012年4月、彼は前述の通り、病に倒れてしまう。
くも膜下出血を発症した田宮さんはなんとか一命は取り留めるも左半身に麻痺が、そして脳にもダメージが残ってしまったという。そのため後遺症から感情の抑制が利かなくなってしまうこともあった。
「会話が噛み合わなかったり、声のボリュームが調節できなかったりなどの症状が出てしまっていたそうです。一刻も早く復帰したいのに、思うように体が動かないため、イライラが募り、感情を爆発させてしまうこともあったみたいです」(浅野の知人)
さらに浅野は自分の時間をほぼ全て田宮さんに捧げていたという。
「浅野さんは趣味のテニスやゴルフをやめて、仕事以外の時間は、田宮さんと一緒にいて、献身的に彼のリハビリを支えました。その甲斐もあってか、当初は車いすだった彼も、杖をついてですが、ひとりで外出もできるほど回復したんです」(前出・浅野の知人)
※女性セブン2014年11月27日号