70年前、台湾沖のバシー海峡で多くの若者が命を落とした。兄の心に生き続け、「アンパンマン」に面影をとどめる柳瀬千尋と、12日間も漂流したのち奇跡的に救出された中島秀次。門田隆将さん(56才)が上梓した『慟哭の海峡』(角川書店)は、大正生まれの2人の男の運命に迫るノンフィクションだ。
「『アンパンマン』の作者で『手のひらを太陽に』を作詞した、やなせたかしさんは私と同じ高知出身で郷土の先輩。高知新聞に連載したエッセイで、弟さんがバシー海峡で亡くなったと知りました。それとは別に、戦友の慰霊に人生を捧げた中島さんのことを知り、2人を軸に、あまり語られることのないこの海峡の物語を書いてみたいと思いました」(門田さん・以下「」内同)
本には、ベッドに横たわる中島さんの写真が載っている。会いに行った静岡の自宅で、門田さんは中島さんが寝たきりの状態だと知った。
「取材が3時間を過ぎ、体のことが心配になって引き揚げようとすると、ぼくの腕をつかんで引きとめられて。その日は静岡に泊まり、翌日も伺うことにして、計7時間以上話を聞きましたが、まだまだ話したいことが尽きない様子でした」
亡くなった戦友たちの存在、彼らの思いが今の日本ではあまりにも忘れられている、という無念が彼を突き動かし、私財を投じて慰霊の場をつくらせたのでは、と門田さん。
取材の1か月後、中島さんは92才で世を去った。94才のやなせさんが亡くなったのは、その8日前のことである。
「取材を申し込んだときは入院中で、退院したら、と快諾いただいていたんです。(死は)ショックでしたが、やなせさんの著書と、千尋さんの周囲の人に話を聞いて、彼の人生をたどってみようと思いました」
旧制高校や大学、また海軍兵科三期の名簿を手に入れ、1人1人電話で当たっていった。関係者はほとんど亡くなっていたが、数人に会うことができた。千尋さんが乗っていたのは、やなせさんが書いていた人間魚雷「回天」ではなく、駆逐艦「呉竹」だったことも突き止めた。
「『呉竹』は全員戦死したと思っていたら生き残りがいるとわかり、そのかたたちからも、貴重な証言を聞くことができました」
弟は子供の頃、「コンパスで描いたような丸顔」だったとやなせさんは書いている。自分の顔を食べさせる「アンパンマン」の自己犠牲的なキャラクターに、亡き弟を重ねたのではないかと門田さんはみる。「手のひらを太陽に」の歌詞を読み返すと、生きる尊さと同時に悲しみも歌われていることに気づく。
「『アンパンマン』の主題歌にも共通していますが、この歌を聴くとバシー海峡の風景が浮かんできます」
※女性セブン2014年11月28日号